連載小説
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まぐろ剣士 -Rein:carnation-
これは去年の話

夏、私は人を殺してしまいました

まだ幼い子どもを、兄の目の前で車で撥ねてしまったんです

気づいたときには、それはそれはむごい死にざまを子どもに与えてしまいました

少年は泣き崩れ、突如として成り果て折れ曲がった死体の脇で、必死に散った弟の血をかき集めていました

ぼてりと転がった赤黒い肉塊を痛く痛く抱きしめて、泣いていました

タイヤの摩れる音よりもずっと、それは耳にいつまでも響いていました

なぜあのときブレーキを踏まなかったのか
なぜ逃げたのか

なぜ、一年もの歳月、こんな事になってしまったのか

………

今を語る前に、そのお話を、こんな人殺しに成りえた私の過去を語ります

多摩市議会議員:桐島 逸希


………

***


父親はいなかった

小学生のころ、気がつくと私の家庭は離婚していた

聖蹟桜ヶ丘の小さなアパートに住んでいた

母親は優しく、周りにも愛想良く、そして弱音も吐かず影では強い人だった

身体は細く、肌は白く、長い髪は見るからにさらさらだった
大きくはない声で、たいへん嬉しそうに小さな私の隣に立つ姿をよく覚えている

穏やかな物言いに幸せそうな屈託のない笑顔をいつも私に向けていた

しかし当時の私にはそれはコンプレックスの固まりでしかなかった

自分自身が不安で弱くて、家庭にコンプレックスを抱いていた

けれどもそれと真逆の母と歩くと、そのときほど恥ずかしくみすぼらしいと感じるときはなかった

母はずっと、女手一つで私を育ててくれました
裕福ではなかったに違いない、しかし当時はそれを実感することは少なかった

何不自由なく平穏な生活を小学生の私に、人生を削って全てを注ぎ、尽くしてくれました

毎朝早朝出ていく母が日常の一つの習慣のように、当たり前と感じていた

週二の休み以外、母は自分が眠ったずっと後に、日付も変わったずっと後に、帰ってくるのだった

そして、ご飯の支度と歯磨きだけをしてまた出ていくのだった

私に見つからないよう、仕事終わりのスーパーで買った惣菜は、全て半額シールを剥がして置いていきました

休みの日は休みではなく家事を一日かけて、自転車一つでやってのけました

そんな環境とは裏腹に、私は高校生になると、いわゆる不良になった
他人が見て不良とわかる不良ではなく
タバコも酒も暴力もバイクもない
シャツを出す程度の、誰とも関わらない不良だった

とにかく友達がいなかった

朝や昼休み、体育の授業や行事には決まって出なかった、参加しなかった
そういう、不良だった

誰もが自然に身につく愛想笑いも上達しなかった、色んな事が劣っていて
たまに学力で明確な馬鹿な事が皆に見つかると、休み時間にスラックスのポケットにテストの用紙を折って隠して教室から消えた

カバンの中を漁られることがあったから

いじめではなかったが、嫌われてもいなかったが、孤独だった

私はそういうときは決まって屋上に逃げた
扉からは入れないが、私だけが入る方法を知っていた
最上階に普段使われていない教室があった
そこには非常階段に通じる扉があり、開けると非常階段から屋上に行くことが出来た
一応、赤錆だらけの安い鍵のついた薄いフェンスの扉はあったが、蹴ってみると鍵は壊れてぽろぽろと落ちた

私は屋上の空気が大好きだった

こんなに生徒で溢れている空間の頂上を独り占めできた事に
すし詰めの箱とは違う、空に一番近くて開放的な空間にだ

両手を広げて、目を閉じて、両耳を開けた

この日の感動は忘れない

教室から屋上へ行く日常は続き、そして私の人生に転機が訪れる

ある夏休みの夜のこと
テレビでスタンドバイミーという映画を見た
すると私はどうしても真夏の誰もいない屋上に駈け上がりたくなった

制服を着て、携帯をしまって、自転車をガラガラ鳴らして学校に一人向かった

行き着いた、飾りのような薄いフェンスの扉を開けると

先客がいた、それも三人も

――それが私達の出会いだった

どこにでもいそうな冴えない顔の 五十嵐 日向

茶色の髪に前髪をヘアピンで止めた背の高い 羽鳥 康介

真面目そうな面に黒ぶち眼鏡にさらさらの髪の 中島 京

その中央には天体望遠鏡が空を向いていた

‘天文部’別名、青春部だと言われた

どいつもこいつもこの学校の省られ者だった
似た者同士だった

帰ろうとしたが、空気を悟られてしまった
屋上に来る人間は、みな理由は同じ、決まって同じ孤独の住人だった

銀河のほとりで、私は久しぶりにばか笑いできた気がした

私は、友達が出来た

その夏、八ヶ岳にある日向のいとこのおじさんの別荘に行ったり
男四人で調布の花火大会にも行ったり

天体望遠鏡を担いで色んな場所に行った
青春をおうかした

そんな風にして、高校三年生の夏になった

受験と進路を控えた周りなど気にせず、私は最後の夏を過ごしていた

八ヶ岳の別荘に今年も行く予定を控え、それと合わせて皆でお金を出しあって新しい天体望遠鏡を買おうとしていたときだった

私は、初めて母と喧嘩をした
久しぶりに母と話した
気がつくと、私は母の身長をずっと越えていた
母は、数本白髪を蓄えていた


リビングの小さなテーブルに座り、母は面と向かって進路について聞いた

私は頭が良くなく、かといって夢や目標があるわけでもなかった

ただ部活に夢中に、だらだらと学校生活を過ごしてしまっていた

母は何も悪いことは言っていなかった
まっとうで正しい道を選んでほしいと心の底から考えてくれていた

けれどもそんなことは知らず、目の前に輝く夜空だけを見続けた反抗期の、全く思いのままに生きる私は

かっとなって、決して親に言ってはいけないその言葉を、容赦なく真正面から怒鳴ってしまった

「誰がこんな家に好きで生まれたかよッ!! 」

「お前みてぇな親いらねぇんだよッ! 早く死んじまえよッ! 」

母の心を踏みにじってしまった

育ててきた息子に言われたその言葉は、死ぬほどきつかったに違いない

しかし母は表情も変えず、知らぬ間に、そんな私の為にまた薄暗い街へと出ていくのだった

ろくでもない私はそんなことをお構い無しに、母の大切に貯めていた生活費の入った封筒から天体望遠鏡のお金をくすねた

何も言わず、母と絶交する覚悟で、怒られるのを覚悟で

しかし勝手気ままに別荘から帰ってくると
その夜も変わらず、半額シールの剥がされた惣菜と白米が炊かれていた

そんな母の重みに気がつかず、私は何度も気持ちをお粗末にし続けてきた

後に知ったが、母はそのときずっと働いていた仕事をクビになって非常に大変な状況だったらしい
働き口を必死になって探していたのだった

何も知らず、私は高校を卒業した、天文部のメンバーもそれぞれ進路を決めた

私はバイトを掛け持ちして一人暮らしを始めた
母のいるあの小さなアパートから早く出ていきたかった

せいせいした、誰に何も言われることのない自由を手に入れたのだった

だが、それも長続きはしなかった

携帯代と家賃、あとはご飯はカップラーメンにでもすれば平気だろうなんて
そんな風に安易に考えいたことがそもそも間違いだった

光熱費はもちろん、高い水道代もガス代も、更には保険まで、全部大人の私が一人で払わなければいけないのだ

一人暮らしなのだから、当たり前のことだった

夢もなく、毎日がやみくもなバイト漬けだけの日常になった

大学生のように飲みにも行けず、洋服も買えず、髪を切るお金も満足に作れなかった

私が風邪で体調を崩した月、母に家賃や光熱費を払ってもらった

私は、何も知らず一人で社会に出て、自分の甘さを痛いほど知った

今まで誰にここまで養ってもらったのか
誰に育てられて、ここまで健康に育ってきたのか

まるで一人で生きてきたかのような振る舞いしかせず

私は大馬鹿者だった

その夜、母が置いていった肉じゃがを一人で食べて泣いた

おふくろの味が染み込んだじゃがいもを頬張って、小さな一部屋の中でおいおい泣いた

私は恥を知って、母のいる生まれ育ったアパートに帰ってきた

しかし母は変わらず、おかえりと、全てを許して微笑んでくれたのだった
喜ぶ母は、少し痩せていた

今までの親不孝な生活を取り戻すように、私は母を大切にした

けれども私は、仕事から帰ってくる母に布団を敷いてあげることくらいしか出来なかった

そして、そんな無力だった私はようやく遅く、夢を見つけたのだった

‘多摩市議会議員’

生まれ育ったこの街、色んな事があり学んできたこの街で仕事がしたかった
より良い街にと、恩返しがしたかった

そこからは、死に物狂いで頑張った
出来るだけ母の負担が減るように、バイトをしながら独学で勉強した

そして、遂に私は夢を叶えた

同じ仕事場で出会った同い年の彼女と二年の交際の末、結婚もした

初めて孫娘を見た母の顔はそれはそれは嬉しそうだった

これでようやく親孝行が出来る

一端の社会人になれた

……そんなときだった

……おふくろが倒れた

まるで私への罰なのだろうか

今までの無理がたたった、過労だった、ボロボロだった

小さなころに隣にいた大きな母は、小さく、顔にはおばあちゃんのようなシワを刻んでいた

私が三十歳の夏のことだった

そして医師に言われた、癌だと……末期だと

余命は一年、そう宣告された

絶望だった、私は足から崩れ落ちた、意識がプツリと切れそうになった

その日の帰り、天文部の三人を乗せた車で泣きながら帰る途中


追い討ちをかけるように

……子どもを轢いてしまった

人を殺してしまった


それから一年間、私と母を知る三人の協力により

最期まで、この事実を隠すことになった

申し訳なくて……申し訳なさすぎて

全てを捧げて一身に私を育ててくれた母に
最後に渡すものが、あなたの息子さんは人を殺したんですよ

そんな風に刑事に問い詰められて、そんなしわくちゃの顔で、ベットの上で一人悲しく悲痛に最期をむかえるなんて

考えたくなかった……最後まで親不孝者の私でも

だから、この隠蔽を泣きながら謀った

一年後、一番の被害者の彼は黒いコートを着て刃物を握ってやってきた

あの日の少年とは豹変して、恐ろしい憎悪を纏って私達の前に現れたのだった

まさかと思った、身の毛がよだつほど恐ろしかった

三人とも、次々に腕を斬られて病院送りになった

彼は関係のない警察官まで巻き込んで斬った
人を殺すのも時間の問題だと感じた

おふくろの容態は医者が言ったそのままに、この三ヶ月で悪化した
髪は細く抜け落ち、頬はこけ、いつ息をひきとってもおかしくなかった

ただ願った、できるだけ、一日でも長く生きて欲しかった
生まれてよかったと、いい人生だったと、私を産んでよかったと

そう心から思って最期をむかえて欲しかった

…だが

それを前に、私は更に犠牲者を出してしまった

高校生だった、それも五人

どこにでもいる目の綺麗な高校生だった

それは、いつかの私達を思い出させた
まだ幼くて、武器も持たずに戦えた
毎日を青春時代に生きる少女達だった

いつの間にか、私は大人になっていた
こんなにも…汚れてしまっていた

あと一ヶ月、あと一週間

その私の気持ちは揺らいだ
しかし未練はあった

根源の犠牲者である彼を逮捕することは出来ない

私は、彼女を前に言ってしまった

だから、こんな選択を選んでしまったのだ

………

これが、現在に至るまでの私の、この街に渦巻く罪の犯罪者の、一人の男の人生です

母が人生をかけて愛を注ぎ、惜しみなく女手一つで育てた馬鹿息子です
母を想い、親孝行をしようと努力した男です

人を殺し、それを隠蔽し、被害者の男の子を封じ込めた、全く卑劣な人殺しの大人の姿です


第1話 11/08/01 00:41
第2話 11/08/03 16:45
第3話 11/08/11 13:13
第4話 11/08/21 00:45
第5話 11/08/22 20:54
第6話 11/08/27 01:27
第7話 11/09/06 01:02
第8話 11/09/07 14:42
第9話 11/09/10 16:24
第10話 11/10/02 16:07
第11話 11/09/28 16:00
第12話 11/09/28 15:58
第13話 11/10/10 11:16
第14話 11/10/12 00:50
第15話 11/10/17 13:13
第16話 11/12/14 17:20
第17話 11/12/09 17:05
第18話 11/12/07 17:39
第19話 12/01/05 12:25
第20話 12/01/29 15:34

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まろやか投稿小説 Ver1.30