その4・エピローグ
「で、一曲目は私と葉留佳くんにコーラス参加してくれ、という話があってな。
独自練習だったから、文字通りぶっつけになるわけだが」
「これがかなりの強敵なのです。
どうしてもメロディに引きずられがちで、結構苦労したんですヨ。
理姫ちゃん、クド、耳をかっぽじってよーく聴けよ!」
「よーし、いっくぞー。
世界を塗り替えた偉大なリバプールの先人たちに、敬意を表して!!」
ワンツースリーフォー、ワンツー
ドドッドドンッ!
さわ子先生がニヤリと笑った。
ずしりと格好よく鳴ったけど、どうやら先生の耳でも決まった、らしい。
律さんもよっしゃあ、って笑った。
それと同時に来ヶ谷さんと葉留佳さん、それに澪さんが甘い声でサビを歌いだす。
シラッジュイェーイェーイェー、シラッジュイェーイェーイェー、シラッジュイェーイェーイェーイェー!
”シー・ラブズ・ユー”。
この曲は僕でもわかる、たしか1963年。
ビートルズがイギリスだけでなくアメリカでも栄光をつかむ理由となった曲のひとつ。
「世界を変えた曲のひとつ、よ。
ギターは変拍子にだけ気をつければ誰でも弾ける、
ともいえるけど、実はコーラスがかなり難しい、
ドラムは簡単そうにみえてキメるのは難しいなんてもんじゃない。
リチャード・スターキーは本当にすごいのよ」
直前までは「まあ許してあげる」っていう程度までしか持ってこれてなかったんだけど、
君たちの前で気合が入ったかな?
そう言って、さわ子先生はまた演奏に聞き入りながら、小声でコーラスを始めた。
・・・上を葉留佳さん、下を唯湖さんが歌う。さわこ先生は下にのっかってるみたい。
で、サビの部分で、唯湖さんと澪さんが向き合って、澪さんもコーラスに参加する。
葉留佳さんの前には梓ちゃんが飛び出し、彼女のコードに併せて葉留佳さんが踊る。
You know it's up to you
I think it's only fair
Pride can hurt you too
Apologize to her
Because she loves you
And you know that can't be bad
Yes, she loves you
And you know you should be glad
クドが唯さんと一緒に手拍子でノッてる。イェーイェーイェーではがっちり参加。
紬さんはちょこちょことメロディを触るだけだけど、それでもめちゃくちゃ楽しそう。
でもわかる。聞き取りやすい詩ではないけれど、
「よい洋楽は、詩もきちんと曲になる」。
それ自体が、意味なんか取れなくてもリスナーを圧倒してくる。
3人がしっかりコーラスをキメてるから、贔屓目はあるかもだけど、
原曲をはじめて聴いたときの衝撃がまざまざと蘇る。
そしてグイグイと、全体を豪快に引っ張る律さんのドラム。
こんなに愛されてるんだから、素直に喜びなさいよ
素直に喜ぶのよ
ああ、そうよ、そうじゃない
たった2分半の演奏、でも、そのかっこよさは無類。
演奏が終わった後。
拍手が収まったその刹那、音楽室にはいってくる人影がふたつ。
「あ、うい、それにのどかちゃん」
「お姉ちゃん、みなさん、お疲れ様です。あ、それから、はじめまして。
平沢唯の妹、憂です。お話はかねがねお伺いしてます。
姉と軽音部のみなさんと、仲良くしてもらえて嬉しいです」
「あなたたち、ちょっと自重してね。通路まで結構派手に来てたわ。
音楽室の周辺を控え室にしておいて正解だったわね・・・でも格好いい演奏だったわ。
ああ、お客様がいらっしゃってるんですってね。生徒会役員の真鍋和です。どうぞよろしく」
「ほほぅ、これはまた可愛い子達だ。おねーさんうきうきしてしまうな」
「姉御、もうちょっと見境持ってくれないとはるちん泣いちゃいますよ」
「わふー、唯さんの妹さんとみなさんのお友達さんですか。能美クドリャフカといいます。よろしくなのですっ。お姉さん、あったかいですね」
「だっこしてもらった?すごく気持ちいいしあったかいでしょ、お姉ちゃん」
「はいっ!」
「本当に誰にでも抱きつき魔ね、唯は」
「えーだってだってぇ、クーちゃん子犬さんみたいでしょ、
こんな可愛いんだから抱きつきたくならない?」
「ともかく、生徒会から通達。結構派手に響いてたから、ちょっと抑えてね。苦情ではないけど問い合わせ、それなりに来たわよ」
「迷惑かけてすまない、和。あとで謝りにいく」
「っていうのは表の理由。本当は別にどうでもいいの。託けて出てきただけ。
さすがに疲れたからちょっとさぼらせて。お茶、ご馳走してもらってもいい?」
「あ、はーい・・・憂ちゃんもアイスティでいい?」
「あ、はい。ご馳走になりますね」
いそいそとムギさんがお湯を確認しに行く。
「のどかちゃん、平気なの?」
彼女は苦笑した。
真面目そうな子だけど、笑うと結構かわいい。
「もう終盤だし、やっと電源問題も片付いたしね。
それにムギや唯からは話聞いてたから。
せっかくだから憂と一緒に、軽音部のお客様を見ておきたいなって思ってね」
「シークレットライブでもあるの?って聞かれたよ、私。
なんかすごく格好いい人たちが軽音部と一緒にいたしって。
わーでも、本当に綺麗でかっこいいし可愛いですね、みなさん」
「では2曲目。今度はムギと唯に主役張ってもらうよ」
「はい、がんばりますね」
「おまかせされちゃうよ」
「あ、よかったら私にも歌わせてください!」
「え、クーちゃん?」
「私も一曲参加したかったのですっ。
これは初めて葉留佳さんに聴かせていただいてからすごく気に入ってたので、
ぼーかるですね、私も一緒したいです」
「そうか、じゃあ私と一緒に歌う?クーちゃん」
「ムギさんと一緒なら心強いのですー。足引っ張らないようにがんばりますっ!」
キラキラ輝く紬さんのキーボードの繊細なスタート。
リズムセクションが動き出し、梓ちゃんに代わってリードギター役の唯さんが、
きっちりメロディのリフをキメると。
胸に手を当てて直立不動のクドと、紬さんが一緒にユニゾンで歌いだした。
ずっとずっと繋いで歩ける手を もしももしもあなたが持ってるなら
遠ざかっていく靴音よりも 近づいてドアを開ける音を強く聞かせて
西脇唯、”「二人」に帰ろう”。
この曲がでてきたのは意外だった。
僕たちが小学生のころのテレビアニメの主題歌。
記憶の底に沈んでいたけど、軽やかに煌くキーボードが、
意外なまでに鮮烈に思い出をひきだす。
「これも懐かしい曲ね。ちょっと苦い記憶にもひっかかっちゃうんだけど」
さわ子先生が苦笑する。
そこで失恋?なんて突っ込みはしない。一番言いそうな葉留佳さんはすっかり聞き入ってるし。
比較的単純なコード進行と繰り返しを軸とするメロディ。
でもそれだけに、誰もが納得する丁寧な吟味に裏づけされた誠実さが胸に迫る。
本当の意味で、きちんとしたプロの仕事がされた曲だと思う。
寂しさは心を追い詰めるものじゃなくて
決して失くせない人を 教えるもの
部分的にはやっぱりクドのボーカルは乱れがち。
でもそれをしっかり紬さんが支えてる。
後ずさりするような つらく長い夜も
子どものころの傷跡みたいに いつか笑いあえる
あ、でも、この難しいパートはぴたりと決まった。クドが紬さんと、それから梓ちゃんと顔をあわせて、リズムが転調を促す瞬間に笑いあう。
・・・しあわせは誰かに「してもらう」ことじゃなくて
ちゃんと抱きしめあえる 人がいること
この一節だけを、唯湖さんが歌っていた。
僕にくらいしか聞こえない、小さな声で。
エンディングが終わると同時に、今度は拍手と歓声が鳴る、
ちょっとだけ、控えめに。
「まあ、こんなふうにコピーに励むのが高校生の普通よね。
そこからオリジナルをひきだすのがまず一苦労なんだし。」
さわ子先生がうなづきながら言う。
「でも彼女たちの場合、もうそのレベルじゃもったいないだろう。
ステージで聴かせてもらった曲たちは、いずれもかなりのところまできているといえるが」
唯湖さんがそれに応える。
「コピーをバカにしちゃいけないわ。
天才であったとしても、下積みが不足していればあっというまにひっくり返る。
天才は世界を変えることができるかもしれないけど、
立ち上がれもしなければ意思疎通もできない天才がありえないように、
基礎なしに何かを創ることはできない」
「それはもちろんだな」
「そういう意味では、私もちょっと先走りすぎてるかも。
まだ練習だって、時間単位で見れば十分じゃないのよね、現軽音部は。
一応基準に達してるのは澪ちゃんと梓ちゃんくらいかな。
うちの軽音部には大事な時間だけど、お茶で使っちゃう時間も多いしね」
そこまでいって、さわ子先生は教師の顔になった。
「残念だけど、音楽にはまず好き嫌いがある。
そのせいで、なまじ音楽を目指すものほど、いまは特に知識が十分ではないし偏ったものしか持ってないことが多い。そういう意味でね、葉留佳さんや来ヶ谷さんは貴重かもね。
二人とも、それぞれ量を聴いていることも受け皿が広いことでも、それを伝えたり選べるだけでも、音楽家にとっては大事な友人たりえるのよね」
そういって、彼女は笑った。
「そうでなくとも、音楽がわかる友人を外部にもてるのは、音楽が好きな人間にとっては、
いうまでもなく、とても大事なこと」
あえてそこで沈黙した気持ちは、僕にもなんとなくだけどわかる。
「あ、そういえばさ」
・・・不意に悪寒が。
「りっきゅんだけ、まだなにもしてないよね」
「・・・あ」
全員の眼が、僕に向いていた。
「ぼ、僕は音楽はできないよ。楽器やったことないし、中学校以来授業だってとってないし」
「歌くらい歌えるでしょう?別に下手だっていいのよ」
「そうだよりっきゅん、カラオケ感覚でいいんだからなんか歌ってよ」
「そうだぞ理姫くん、下手かどうかなんてことを気にするようにみえるか、我々が」
「少なくとも、葉留佳さんと律さんはなんか言い出しそうな気はする・・・」
「えー、信用ないなぁりっちゃん、私たち」
「はるちんについてはきっとそういわせる前歴があるんだろうな」
「り、りっちゃんはきっとこっちサイドの人間だと思ってたのに」
「でも澪、あたしって、どうしてそういう扱いにされるんだろう」
「それはそれこそ、自分の胸に手を当てて考えてみればいい」
「うん当ててみた、澪の胸に」
「さっきは乗りそこねましたケド、うーん、澪ちんの胸もボーンですなぁ」
「な・・・なななな!」
景気よい一撃が二人の脳天を直撃し、「バカ二人」が大きいこぶを押さえる。
「・・・澪先輩も大変ですね」
「ああ、手がかかるのがまた増えるのか・・・」
といいつつ、そんなに嫌そうでもない表情で苦笑する澪さん。
「それはともかく」
和さんが口をひらく。
「高校の教科書に載ってるような曲なら大丈夫なんじゃない?
いまはちょっと前の曲なら割りに普通に載ってることも多いし、
譜面もあるから伴奏もできるし、技術的に難しい曲もないし、
有名なのが多いから聞かせてもらっても楽しめるし」
「うむ、名案だな」
「確かにそれはそうね。ちょっと出してみましょうか」
「・・・僕はやっぱり歌わないといけないのかな、この流れだと」
「リキ、恥ずかしかったら及ばずながらわたしもおてつだいしますっ」
「・・・でもここで一人だけ何もしないのも、確かにみっともないよね」
教科書を開こうとした先生に。
「”少年時代”、ありますか?」
「井上陽水の?あるわよ。確か1年生用のMousaちゃん・・・」
「うむ、理姫くんが歌うならギターは私がしよう。
すまないが唯くん、ギー太くんをしばらく貸してもらえないか」
「キーボードは私にさせてくださいね。この曲は私の父が大好きなんです」
力強い、とてもありがたい援軍。
「うう、ギー太、ゆいちゃんが美人だからって浮気しちゃいやだよ」
「・・・あのなぁ、唯」
でも律さんの呆れ顔はともかく、
本当に唯さんはそう思ってるんだろうなぁ。
問題はそのあと。
深く腰掛け、たぶん人類の圧倒的大多数が息を呑んで嫉妬するか羨望するか屈服してしまう
脚を組んで、ギー太くんを抱えて軽く調弦とコードを確認する唯湖さん。
譜面を読んでテストするムギさんの横で、コードを流しながらまずワンフレーズ。
The guilty undertaker sighs,
The lonesome organ grinder cries,
The silver saxophones say I should refuse you.
The cracked bells and washed-out horns
Blow into my face with scorn,
But its not that way,I wasnt born to lose you.
I want you,
I want you,
I want you so bad,
Honey, I want you.
葉留佳さんとさわ子先生が顔を見合わせる。
残りのメンバーは、文字通りきょとん。もちろん僕も。
理由はたぶん2つ。故意にだろうけどしわがれてみせた唯湖さんの声と、
あまりにもかっこいいニューヨークイングリッシュだったから。
・・・僕は、後者の理由は知っている。だけど、この歌のことは知らなかった。
「すごくかっこいいフォーク・・・ロックだよね。で、なんて曲なの?」
律さんが代表して聞く。
「やはりボブ・ディランは日本人にはマイナーだな。
7枚目のアルバム、”ブロンド・オン・ブロンド”の、”アイ・ウォント・ユー”だ」
「えええええ!?」納得顔の2人以外は。
「ボブ・ディランって、”風に吹かれて”のでしょ?ピーター&ポール・マリーの」
「”時代は変る”なら聴いたことある。あと”ライク・ア・ローリング・ストーン”と」
澪さんが心底びっくりしてる。
「でもボブ・ディランって、こういう歌も歌うんだ・・・」
「なんなら、こんなのもあるぞ」
そういって、来ヶ谷さんはまた歌いだす。
Yes,to dance beneath the diamond sky with one hand waving free,
Shihounetted by the sea,circled by the circus sands,
With all memory and fate driven deep beneath the waves,
Let me forget about today until tomorrow.
ねえ、ミスター・タンブリン・マン、ぼくのために1曲やっておくれ
ぼくは眠くないし、行く場所もないんだ
ねえ、ミスター・タンブリン・マン、ぼくのために1曲やっておくれ
ジンジャカ鳴り響く朝の中、ぼくはあなたについて行こう
「これはたしか、バーズだったよね。”ミスター・タンブリン・マン”」
これは僕も聞いたことのあるメロディ。
でもバーズの音源より、ギター一本のせいか、ずっと哀愁に満ちた響き。
「もともとね、”ミスター・タンブリン・マン”はディランの作詞作曲。
著作権確保のために録音されていたデモバージョンを聴いたバーズのメンバーが、
編曲して歌詞を整理して、自分たちのシングルにしたら大ヒットしたのよ」
さわ子先生が補足。
「へー・・・」
もう文字通り、言葉にならない。
人は見かけによらない。
人の言うイメージなんて、ほとんど役に立たないってことを、
改めて唯湖さんから教えられた思い。
で、これは知ってるかな?
そういって、おもむろに唯湖さんは爆弾を投げ込んだんだ。
ちゃかちゃんちゃんちゃん、というコードの後で、いきなりサビから。
男のがいいの
・・・葉留佳さんとさわ子先生は笑い出したけど、
他のメンバーは驚きのあまり口がぱくぱく。
みんなの反応など知ったことではないと言わんばかりに、唯湖さんは歌う。
ただ一つ気がかりになるのはミソよ
恋したらしいの
掘られるのに気持ちがこれほどいいとは
思いもせず疑うことなく
まるで男同士も良かれと
心に決め震えるこのムクちゃん
で、ここまできて、やっとかろうじて唯さんが口を開く。
「ゆいちゃん、す、すごいとかなんとか、と、とにかくえっちだ・・・」
「いやえっちとかなんとかいう問題じゃないだろ!
どう聞いてもホ・・・いやいや、アナ・・・いやいやいや、「男同士」の歌じゃん!」
もうあいた口がふさがらない面々を代表して、律さんが叫ぶ。
それに対して余裕綽々に。
「なんだ律くん、サザンオールスターズを知らないのか?」
「「「「「「え、えええええ!!!」」」」」」
「”10ナンバーズ・からっと”の、”ブルースにようこそ”ですか。さすがは姉御」
葉留佳さんが、それでこそ、という顔をしてる。
「うん、知らなければ驚きますよネ。
で、”女呼んでブギ”くらいでいちいち怒ってたらキリがないですヨ、桑田佳祐は。
”クリといつまでも”とか”BOHBO No5”とかもありますケド、
”ミス・ブランニューディ”の放送禁止PVなんか、何も知らないで観たら
ひっくり返りますヨ、うん。
最近やっとDVDに収録されましたけど」
「ほ、ほうそう・・・きんし?」
「澪ちんは観ちゃダメですな、うん」
ああ、あれは絶対見せたくて言ってる、もうまちがいなく。
ただ、姉御?
なんだ、葉留佳君?
姉御はもう少し自分のことを意識したほうがいいですヨ?
姉御みたいな女性がいきなり「男のがいいの」なんて言ったら、
後の詩のことは全部吹っ飛んでルパンダイブされますヨ?ましてそんな格好で。
葉留佳君はしないのか?ほら、カモン。
「あなたたち、一応ここが女子高ってことは考えてね」
さわ子先生が苦笑まじりに、和さんがため息まじりに言って、この場は一応まとまった。
まあそんなことはいい。
ことさら言ってみたって、人間性すべてをひっくるめて、音楽とはそういうものだ。
理姫くんも、歌いたいと思った曲を誠実に歌ってくれればいい。
それを私たちは聴きたいだけなんだ。
そうです、上手いとか下手とかではなくて。
理姫さんが伝えたいと思ったことを、聴かせて欲しいんです。
2人の言葉に背を押されて、踏ん切りがつく。
・・・でも、僕の歌のことなんて、とても話せない。
唯湖さんと紬さんのおかげで緊張はある程度ほぐれてたけど、
メロディを取るだけで、もう意識はいっぱいいっぱいだったし。
ただ、稀代の名曲をふたりがとても綺麗に演奏してくれたこと、
開き直って普段の声で歌ったことで。
かえってみんなが納得してくれたことが、嬉しかった。
クドが少しだけ泣いてくれたのも。
「理由はわからないです。でも、とにかく、とても、とても素敵です」
澪さんに寄りかかるようにして、ぽろぽろと。
涙をそっと拭う、澪さんがいとおしく感じる。
そんなふうにして、僕らの桜高軽音楽部への初訪問は終わった。
「クーちゃん、りっきゅん、はーたんにゆいちゃん。今日は本当にありがとう。
来てくれて、一緒に演奏してくれて、友達になって欲しいって言ってくれて、嬉しいよ」
「今度はこっちから乗り込むぞ。リトルバスターズ全員に会いたい。
噂のこまりん、鈴ちゃんたちと遊びたいな。とことんまで遊び倒したいぞー。
つかもう出入り自由。速攻みんな連れてきちゃえ。もちろん男子諸君も大歓迎」
「もしよかったら、今日こられなかった仲間たちにも、私たちの演奏を聴いて欲しい。
どんなことでもいい、感想を聞かせて欲しい。もちろん、お茶もしたいな。
美魚さんって子が、お茶の名手だとムギから聞いてるし。しかし偶然とはいえすごいな・・・」
「クドちゃん、また一緒にあそぼうね。今度は2人で演奏してみたいな。
クドちゃんに、私のギターで歌ってほしい。
ああそうだ、憂も一緒にやろう。きっと素敵な演奏になるよ」
「そうだね、梓ちゃん。私も練習しよう、お姉ちゃんにギー太借りて。
クラスの用事で最初からいられなかったのが残念。でもまた、皆さんと一緒したいです。
不束な妹ですが、どうぞお姉ちゃん、梓ちゃんともどもよろしくおねがいします」
「今度はもうちょっと控えめにね。実際、
どこのモデル?とかもしかして芸能人候補生?とか問い合わせ多くて閉口してたんだから。
でないとこちらも派手な格好で行かせちゃうわよ、そちらに。
でも訪問ありがとう、唯達をまたよろしくね」
「そうですね、なにかイベントをつくって学校以外でも会いたいですね。
・・・それと、もし少しでも楽器が出来る方が他にもいらっしゃったら、ジャムセッションなんて楽しそうですね。
せっかくリトルバスターズには、殿方もいらっしゃるんですし」
校門で、彼女たちは口々にそう言った。
「わふー、今日は本当に幸せでしたー。
わたしのダメダメなぼーかるでよければ、ぜひまた歌いたいです。
あとりっちゃんさん、澪さん、娘の話、よろしくお願いしますね!」
「おっしいつでもおっけー。澪、もう今晩からクドちゃんは私たちの娘だ!」
「律くん、それをいうのは保護者兼ラマンの私を通してからにしてもらおうか」
「おお、なんか火花が散ってるー」
「はるちんにも自慢のお姉ちゃんがいます。のどっちみたいにちょっと生真面目だけど、
すごくすごく優しい人なのですヨ。リトルバスターズ員外だけど、会ってほしいな、ぜひ」
「の、のどっち!?」
「あ、それいい、のどかちゃん、今度からそう呼んでいい?」
「ムギくん、早速次の打ち合わせをしよう。今晩にでも。それから、次回はきっともっと諸君をびっくりさせることになるだろう、楽しみにしておいてくれ」
「うふふ、そうですね。あ、そうだ理姫さん?さっきの歌は録画させていただきましたから、あとで来ヶ谷さんにデータ転送しますね」
「え、ええ!?」いつの間に?
「うん、りっきゅんの歌声は、それこそリリンの生んだ文化の極みだな。
澪を弄るのと同じくらい萌えちゃったよ、おねーさん」
「ぜひぜひ世界の皆さんに、姉御とムギちゃんの演奏で花開く
りっきゅんの魅力を伝えたいとこですナ」
「萌え萌え、キュン!」
またもや凄絶な音が炸裂し、2人が轟沈する。
「バカたちにはデータは渡さないから安心してくれ、りっきゅん。
実際いまになってから言うのは申し訳ないんだけど、
どっちみちさわ子先生がムービーカメラを仕掛けてたのは事実なんだ。
一応、演奏時だけ廻してたということなんだが。私たちも全員撮られてるから、
まあ諦めてくれ。どちらにしても、貴重だがあくまで個人記録だ。
まちがっても動画共有サイトとかにはアップはしないし、させないから・・・
私も恥ずかしいしな」
澪さんの説明に、一応納得。
「澪ママに保障してもらえるなら信じます。
でも、そうなると、さっきリキの歌声で泣いちゃったところも
撮られちゃってるんですね、わふー・・・」
でも、なんとなく、クドの顔が安堵だけではない赤みをさしているのは、
夕日だけのせいでもないような気もした。
「でも、もしかして、放課後ティータイムが数年後に有名になっていたら、
やっぱり結局ブートレグになったりしてるかもな」
唯湖さんが、苦笑まじりに言った。
「でもそれは・・・」
突然に、僕の耳に唇をよせて。
「理樹くんは本当にライバルが多い。
でも、できれば、私もその中の一員にはなっていたいな。
今日、またライバルを増やしてしまったような気もしないでもないが、
いつかは、君を抱いて新居に入りたいものだ」
「え・・・それって、お姫様抱っこされるのは僕ってこと?」
「似合うのはどっちか。それもまた真実、それだけだ、少年」
その言葉と同時に、傍にいた紬さんが微笑したような気がするのは、
・・・きっと気のせいだよね、うん。
「ああそれと」
来ヶ谷さんは、澪さんと梓ちゃんに向かって。
「今日は2人の猫耳カチューシャを拝することができなかったのが心残りだ。
こちらに来てくれるときには、ぜひつけてきてくれ。
きっと鈴くんと私が喜ぶ。あと恭介氏もかな」
ああ、もう。
そのあと、結局後夜祭になるまで騒ぎが続いたことは、もう言うまでもないよね?
独自練習だったから、文字通りぶっつけになるわけだが」
「これがかなりの強敵なのです。
どうしてもメロディに引きずられがちで、結構苦労したんですヨ。
理姫ちゃん、クド、耳をかっぽじってよーく聴けよ!」
「よーし、いっくぞー。
世界を塗り替えた偉大なリバプールの先人たちに、敬意を表して!!」
ワンツースリーフォー、ワンツー
ドドッドドンッ!
さわ子先生がニヤリと笑った。
ずしりと格好よく鳴ったけど、どうやら先生の耳でも決まった、らしい。
律さんもよっしゃあ、って笑った。
それと同時に来ヶ谷さんと葉留佳さん、それに澪さんが甘い声でサビを歌いだす。
シラッジュイェーイェーイェー、シラッジュイェーイェーイェー、シラッジュイェーイェーイェーイェー!
”シー・ラブズ・ユー”。
この曲は僕でもわかる、たしか1963年。
ビートルズがイギリスだけでなくアメリカでも栄光をつかむ理由となった曲のひとつ。
「世界を変えた曲のひとつ、よ。
ギターは変拍子にだけ気をつければ誰でも弾ける、
ともいえるけど、実はコーラスがかなり難しい、
ドラムは簡単そうにみえてキメるのは難しいなんてもんじゃない。
リチャード・スターキーは本当にすごいのよ」
直前までは「まあ許してあげる」っていう程度までしか持ってこれてなかったんだけど、
君たちの前で気合が入ったかな?
そう言って、さわ子先生はまた演奏に聞き入りながら、小声でコーラスを始めた。
・・・上を葉留佳さん、下を唯湖さんが歌う。さわこ先生は下にのっかってるみたい。
で、サビの部分で、唯湖さんと澪さんが向き合って、澪さんもコーラスに参加する。
葉留佳さんの前には梓ちゃんが飛び出し、彼女のコードに併せて葉留佳さんが踊る。
You know it's up to you
I think it's only fair
Pride can hurt you too
Apologize to her
Because she loves you
And you know that can't be bad
Yes, she loves you
And you know you should be glad
クドが唯さんと一緒に手拍子でノッてる。イェーイェーイェーではがっちり参加。
紬さんはちょこちょことメロディを触るだけだけど、それでもめちゃくちゃ楽しそう。
でもわかる。聞き取りやすい詩ではないけれど、
「よい洋楽は、詩もきちんと曲になる」。
それ自体が、意味なんか取れなくてもリスナーを圧倒してくる。
3人がしっかりコーラスをキメてるから、贔屓目はあるかもだけど、
原曲をはじめて聴いたときの衝撃がまざまざと蘇る。
そしてグイグイと、全体を豪快に引っ張る律さんのドラム。
こんなに愛されてるんだから、素直に喜びなさいよ
素直に喜ぶのよ
ああ、そうよ、そうじゃない
たった2分半の演奏、でも、そのかっこよさは無類。
演奏が終わった後。
拍手が収まったその刹那、音楽室にはいってくる人影がふたつ。
「あ、うい、それにのどかちゃん」
「お姉ちゃん、みなさん、お疲れ様です。あ、それから、はじめまして。
平沢唯の妹、憂です。お話はかねがねお伺いしてます。
姉と軽音部のみなさんと、仲良くしてもらえて嬉しいです」
「あなたたち、ちょっと自重してね。通路まで結構派手に来てたわ。
音楽室の周辺を控え室にしておいて正解だったわね・・・でも格好いい演奏だったわ。
ああ、お客様がいらっしゃってるんですってね。生徒会役員の真鍋和です。どうぞよろしく」
「ほほぅ、これはまた可愛い子達だ。おねーさんうきうきしてしまうな」
「姉御、もうちょっと見境持ってくれないとはるちん泣いちゃいますよ」
「わふー、唯さんの妹さんとみなさんのお友達さんですか。能美クドリャフカといいます。よろしくなのですっ。お姉さん、あったかいですね」
「だっこしてもらった?すごく気持ちいいしあったかいでしょ、お姉ちゃん」
「はいっ!」
「本当に誰にでも抱きつき魔ね、唯は」
「えーだってだってぇ、クーちゃん子犬さんみたいでしょ、
こんな可愛いんだから抱きつきたくならない?」
「ともかく、生徒会から通達。結構派手に響いてたから、ちょっと抑えてね。苦情ではないけど問い合わせ、それなりに来たわよ」
「迷惑かけてすまない、和。あとで謝りにいく」
「っていうのは表の理由。本当は別にどうでもいいの。託けて出てきただけ。
さすがに疲れたからちょっとさぼらせて。お茶、ご馳走してもらってもいい?」
「あ、はーい・・・憂ちゃんもアイスティでいい?」
「あ、はい。ご馳走になりますね」
いそいそとムギさんがお湯を確認しに行く。
「のどかちゃん、平気なの?」
彼女は苦笑した。
真面目そうな子だけど、笑うと結構かわいい。
「もう終盤だし、やっと電源問題も片付いたしね。
それにムギや唯からは話聞いてたから。
せっかくだから憂と一緒に、軽音部のお客様を見ておきたいなって思ってね」
「シークレットライブでもあるの?って聞かれたよ、私。
なんかすごく格好いい人たちが軽音部と一緒にいたしって。
わーでも、本当に綺麗でかっこいいし可愛いですね、みなさん」
「では2曲目。今度はムギと唯に主役張ってもらうよ」
「はい、がんばりますね」
「おまかせされちゃうよ」
「あ、よかったら私にも歌わせてください!」
「え、クーちゃん?」
「私も一曲参加したかったのですっ。
これは初めて葉留佳さんに聴かせていただいてからすごく気に入ってたので、
ぼーかるですね、私も一緒したいです」
「そうか、じゃあ私と一緒に歌う?クーちゃん」
「ムギさんと一緒なら心強いのですー。足引っ張らないようにがんばりますっ!」
キラキラ輝く紬さんのキーボードの繊細なスタート。
リズムセクションが動き出し、梓ちゃんに代わってリードギター役の唯さんが、
きっちりメロディのリフをキメると。
胸に手を当てて直立不動のクドと、紬さんが一緒にユニゾンで歌いだした。
ずっとずっと繋いで歩ける手を もしももしもあなたが持ってるなら
遠ざかっていく靴音よりも 近づいてドアを開ける音を強く聞かせて
西脇唯、”「二人」に帰ろう”。
この曲がでてきたのは意外だった。
僕たちが小学生のころのテレビアニメの主題歌。
記憶の底に沈んでいたけど、軽やかに煌くキーボードが、
意外なまでに鮮烈に思い出をひきだす。
「これも懐かしい曲ね。ちょっと苦い記憶にもひっかかっちゃうんだけど」
さわ子先生が苦笑する。
そこで失恋?なんて突っ込みはしない。一番言いそうな葉留佳さんはすっかり聞き入ってるし。
比較的単純なコード進行と繰り返しを軸とするメロディ。
でもそれだけに、誰もが納得する丁寧な吟味に裏づけされた誠実さが胸に迫る。
本当の意味で、きちんとしたプロの仕事がされた曲だと思う。
寂しさは心を追い詰めるものじゃなくて
決して失くせない人を 教えるもの
部分的にはやっぱりクドのボーカルは乱れがち。
でもそれをしっかり紬さんが支えてる。
後ずさりするような つらく長い夜も
子どものころの傷跡みたいに いつか笑いあえる
あ、でも、この難しいパートはぴたりと決まった。クドが紬さんと、それから梓ちゃんと顔をあわせて、リズムが転調を促す瞬間に笑いあう。
・・・しあわせは誰かに「してもらう」ことじゃなくて
ちゃんと抱きしめあえる 人がいること
この一節だけを、唯湖さんが歌っていた。
僕にくらいしか聞こえない、小さな声で。
エンディングが終わると同時に、今度は拍手と歓声が鳴る、
ちょっとだけ、控えめに。
「まあ、こんなふうにコピーに励むのが高校生の普通よね。
そこからオリジナルをひきだすのがまず一苦労なんだし。」
さわ子先生がうなづきながら言う。
「でも彼女たちの場合、もうそのレベルじゃもったいないだろう。
ステージで聴かせてもらった曲たちは、いずれもかなりのところまできているといえるが」
唯湖さんがそれに応える。
「コピーをバカにしちゃいけないわ。
天才であったとしても、下積みが不足していればあっというまにひっくり返る。
天才は世界を変えることができるかもしれないけど、
立ち上がれもしなければ意思疎通もできない天才がありえないように、
基礎なしに何かを創ることはできない」
「それはもちろんだな」
「そういう意味では、私もちょっと先走りすぎてるかも。
まだ練習だって、時間単位で見れば十分じゃないのよね、現軽音部は。
一応基準に達してるのは澪ちゃんと梓ちゃんくらいかな。
うちの軽音部には大事な時間だけど、お茶で使っちゃう時間も多いしね」
そこまでいって、さわ子先生は教師の顔になった。
「残念だけど、音楽にはまず好き嫌いがある。
そのせいで、なまじ音楽を目指すものほど、いまは特に知識が十分ではないし偏ったものしか持ってないことが多い。そういう意味でね、葉留佳さんや来ヶ谷さんは貴重かもね。
二人とも、それぞれ量を聴いていることも受け皿が広いことでも、それを伝えたり選べるだけでも、音楽家にとっては大事な友人たりえるのよね」
そういって、彼女は笑った。
「そうでなくとも、音楽がわかる友人を外部にもてるのは、音楽が好きな人間にとっては、
いうまでもなく、とても大事なこと」
あえてそこで沈黙した気持ちは、僕にもなんとなくだけどわかる。
「あ、そういえばさ」
・・・不意に悪寒が。
「りっきゅんだけ、まだなにもしてないよね」
「・・・あ」
全員の眼が、僕に向いていた。
「ぼ、僕は音楽はできないよ。楽器やったことないし、中学校以来授業だってとってないし」
「歌くらい歌えるでしょう?別に下手だっていいのよ」
「そうだよりっきゅん、カラオケ感覚でいいんだからなんか歌ってよ」
「そうだぞ理姫くん、下手かどうかなんてことを気にするようにみえるか、我々が」
「少なくとも、葉留佳さんと律さんはなんか言い出しそうな気はする・・・」
「えー、信用ないなぁりっちゃん、私たち」
「はるちんについてはきっとそういわせる前歴があるんだろうな」
「り、りっちゃんはきっとこっちサイドの人間だと思ってたのに」
「でも澪、あたしって、どうしてそういう扱いにされるんだろう」
「それはそれこそ、自分の胸に手を当てて考えてみればいい」
「うん当ててみた、澪の胸に」
「さっきは乗りそこねましたケド、うーん、澪ちんの胸もボーンですなぁ」
「な・・・なななな!」
景気よい一撃が二人の脳天を直撃し、「バカ二人」が大きいこぶを押さえる。
「・・・澪先輩も大変ですね」
「ああ、手がかかるのがまた増えるのか・・・」
といいつつ、そんなに嫌そうでもない表情で苦笑する澪さん。
「それはともかく」
和さんが口をひらく。
「高校の教科書に載ってるような曲なら大丈夫なんじゃない?
いまはちょっと前の曲なら割りに普通に載ってることも多いし、
譜面もあるから伴奏もできるし、技術的に難しい曲もないし、
有名なのが多いから聞かせてもらっても楽しめるし」
「うむ、名案だな」
「確かにそれはそうね。ちょっと出してみましょうか」
「・・・僕はやっぱり歌わないといけないのかな、この流れだと」
「リキ、恥ずかしかったら及ばずながらわたしもおてつだいしますっ」
「・・・でもここで一人だけ何もしないのも、確かにみっともないよね」
教科書を開こうとした先生に。
「”少年時代”、ありますか?」
「井上陽水の?あるわよ。確か1年生用のMousaちゃん・・・」
「うむ、理姫くんが歌うならギターは私がしよう。
すまないが唯くん、ギー太くんをしばらく貸してもらえないか」
「キーボードは私にさせてくださいね。この曲は私の父が大好きなんです」
力強い、とてもありがたい援軍。
「うう、ギー太、ゆいちゃんが美人だからって浮気しちゃいやだよ」
「・・・あのなぁ、唯」
でも律さんの呆れ顔はともかく、
本当に唯さんはそう思ってるんだろうなぁ。
問題はそのあと。
深く腰掛け、たぶん人類の圧倒的大多数が息を呑んで嫉妬するか羨望するか屈服してしまう
脚を組んで、ギー太くんを抱えて軽く調弦とコードを確認する唯湖さん。
譜面を読んでテストするムギさんの横で、コードを流しながらまずワンフレーズ。
The guilty undertaker sighs,
The lonesome organ grinder cries,
The silver saxophones say I should refuse you.
The cracked bells and washed-out horns
Blow into my face with scorn,
But its not that way,I wasnt born to lose you.
I want you,
I want you,
I want you so bad,
Honey, I want you.
葉留佳さんとさわ子先生が顔を見合わせる。
残りのメンバーは、文字通りきょとん。もちろん僕も。
理由はたぶん2つ。故意にだろうけどしわがれてみせた唯湖さんの声と、
あまりにもかっこいいニューヨークイングリッシュだったから。
・・・僕は、後者の理由は知っている。だけど、この歌のことは知らなかった。
「すごくかっこいいフォーク・・・ロックだよね。で、なんて曲なの?」
律さんが代表して聞く。
「やはりボブ・ディランは日本人にはマイナーだな。
7枚目のアルバム、”ブロンド・オン・ブロンド”の、”アイ・ウォント・ユー”だ」
「えええええ!?」納得顔の2人以外は。
「ボブ・ディランって、”風に吹かれて”のでしょ?ピーター&ポール・マリーの」
「”時代は変る”なら聴いたことある。あと”ライク・ア・ローリング・ストーン”と」
澪さんが心底びっくりしてる。
「でもボブ・ディランって、こういう歌も歌うんだ・・・」
「なんなら、こんなのもあるぞ」
そういって、来ヶ谷さんはまた歌いだす。
Yes,to dance beneath the diamond sky with one hand waving free,
Shihounetted by the sea,circled by the circus sands,
With all memory and fate driven deep beneath the waves,
Let me forget about today until tomorrow.
ねえ、ミスター・タンブリン・マン、ぼくのために1曲やっておくれ
ぼくは眠くないし、行く場所もないんだ
ねえ、ミスター・タンブリン・マン、ぼくのために1曲やっておくれ
ジンジャカ鳴り響く朝の中、ぼくはあなたについて行こう
「これはたしか、バーズだったよね。”ミスター・タンブリン・マン”」
これは僕も聞いたことのあるメロディ。
でもバーズの音源より、ギター一本のせいか、ずっと哀愁に満ちた響き。
「もともとね、”ミスター・タンブリン・マン”はディランの作詞作曲。
著作権確保のために録音されていたデモバージョンを聴いたバーズのメンバーが、
編曲して歌詞を整理して、自分たちのシングルにしたら大ヒットしたのよ」
さわ子先生が補足。
「へー・・・」
もう文字通り、言葉にならない。
人は見かけによらない。
人の言うイメージなんて、ほとんど役に立たないってことを、
改めて唯湖さんから教えられた思い。
で、これは知ってるかな?
そういって、おもむろに唯湖さんは爆弾を投げ込んだんだ。
ちゃかちゃんちゃんちゃん、というコードの後で、いきなりサビから。
男のがいいの
・・・葉留佳さんとさわ子先生は笑い出したけど、
他のメンバーは驚きのあまり口がぱくぱく。
みんなの反応など知ったことではないと言わんばかりに、唯湖さんは歌う。
ただ一つ気がかりになるのはミソよ
恋したらしいの
掘られるのに気持ちがこれほどいいとは
思いもせず疑うことなく
まるで男同士も良かれと
心に決め震えるこのムクちゃん
で、ここまできて、やっとかろうじて唯さんが口を開く。
「ゆいちゃん、す、すごいとかなんとか、と、とにかくえっちだ・・・」
「いやえっちとかなんとかいう問題じゃないだろ!
どう聞いてもホ・・・いやいや、アナ・・・いやいやいや、「男同士」の歌じゃん!」
もうあいた口がふさがらない面々を代表して、律さんが叫ぶ。
それに対して余裕綽々に。
「なんだ律くん、サザンオールスターズを知らないのか?」
「「「「「「え、えええええ!!!」」」」」」
「”10ナンバーズ・からっと”の、”ブルースにようこそ”ですか。さすがは姉御」
葉留佳さんが、それでこそ、という顔をしてる。
「うん、知らなければ驚きますよネ。
で、”女呼んでブギ”くらいでいちいち怒ってたらキリがないですヨ、桑田佳祐は。
”クリといつまでも”とか”BOHBO No5”とかもありますケド、
”ミス・ブランニューディ”の放送禁止PVなんか、何も知らないで観たら
ひっくり返りますヨ、うん。
最近やっとDVDに収録されましたけど」
「ほ、ほうそう・・・きんし?」
「澪ちんは観ちゃダメですな、うん」
ああ、あれは絶対見せたくて言ってる、もうまちがいなく。
ただ、姉御?
なんだ、葉留佳君?
姉御はもう少し自分のことを意識したほうがいいですヨ?
姉御みたいな女性がいきなり「男のがいいの」なんて言ったら、
後の詩のことは全部吹っ飛んでルパンダイブされますヨ?ましてそんな格好で。
葉留佳君はしないのか?ほら、カモン。
「あなたたち、一応ここが女子高ってことは考えてね」
さわ子先生が苦笑まじりに、和さんがため息まじりに言って、この場は一応まとまった。
まあそんなことはいい。
ことさら言ってみたって、人間性すべてをひっくるめて、音楽とはそういうものだ。
理姫くんも、歌いたいと思った曲を誠実に歌ってくれればいい。
それを私たちは聴きたいだけなんだ。
そうです、上手いとか下手とかではなくて。
理姫さんが伝えたいと思ったことを、聴かせて欲しいんです。
2人の言葉に背を押されて、踏ん切りがつく。
・・・でも、僕の歌のことなんて、とても話せない。
唯湖さんと紬さんのおかげで緊張はある程度ほぐれてたけど、
メロディを取るだけで、もう意識はいっぱいいっぱいだったし。
ただ、稀代の名曲をふたりがとても綺麗に演奏してくれたこと、
開き直って普段の声で歌ったことで。
かえってみんなが納得してくれたことが、嬉しかった。
クドが少しだけ泣いてくれたのも。
「理由はわからないです。でも、とにかく、とても、とても素敵です」
澪さんに寄りかかるようにして、ぽろぽろと。
涙をそっと拭う、澪さんがいとおしく感じる。
そんなふうにして、僕らの桜高軽音楽部への初訪問は終わった。
「クーちゃん、りっきゅん、はーたんにゆいちゃん。今日は本当にありがとう。
来てくれて、一緒に演奏してくれて、友達になって欲しいって言ってくれて、嬉しいよ」
「今度はこっちから乗り込むぞ。リトルバスターズ全員に会いたい。
噂のこまりん、鈴ちゃんたちと遊びたいな。とことんまで遊び倒したいぞー。
つかもう出入り自由。速攻みんな連れてきちゃえ。もちろん男子諸君も大歓迎」
「もしよかったら、今日こられなかった仲間たちにも、私たちの演奏を聴いて欲しい。
どんなことでもいい、感想を聞かせて欲しい。もちろん、お茶もしたいな。
美魚さんって子が、お茶の名手だとムギから聞いてるし。しかし偶然とはいえすごいな・・・」
「クドちゃん、また一緒にあそぼうね。今度は2人で演奏してみたいな。
クドちゃんに、私のギターで歌ってほしい。
ああそうだ、憂も一緒にやろう。きっと素敵な演奏になるよ」
「そうだね、梓ちゃん。私も練習しよう、お姉ちゃんにギー太借りて。
クラスの用事で最初からいられなかったのが残念。でもまた、皆さんと一緒したいです。
不束な妹ですが、どうぞお姉ちゃん、梓ちゃんともどもよろしくおねがいします」
「今度はもうちょっと控えめにね。実際、
どこのモデル?とかもしかして芸能人候補生?とか問い合わせ多くて閉口してたんだから。
でないとこちらも派手な格好で行かせちゃうわよ、そちらに。
でも訪問ありがとう、唯達をまたよろしくね」
「そうですね、なにかイベントをつくって学校以外でも会いたいですね。
・・・それと、もし少しでも楽器が出来る方が他にもいらっしゃったら、ジャムセッションなんて楽しそうですね。
せっかくリトルバスターズには、殿方もいらっしゃるんですし」
校門で、彼女たちは口々にそう言った。
「わふー、今日は本当に幸せでしたー。
わたしのダメダメなぼーかるでよければ、ぜひまた歌いたいです。
あとりっちゃんさん、澪さん、娘の話、よろしくお願いしますね!」
「おっしいつでもおっけー。澪、もう今晩からクドちゃんは私たちの娘だ!」
「律くん、それをいうのは保護者兼ラマンの私を通してからにしてもらおうか」
「おお、なんか火花が散ってるー」
「はるちんにも自慢のお姉ちゃんがいます。のどっちみたいにちょっと生真面目だけど、
すごくすごく優しい人なのですヨ。リトルバスターズ員外だけど、会ってほしいな、ぜひ」
「の、のどっち!?」
「あ、それいい、のどかちゃん、今度からそう呼んでいい?」
「ムギくん、早速次の打ち合わせをしよう。今晩にでも。それから、次回はきっともっと諸君をびっくりさせることになるだろう、楽しみにしておいてくれ」
「うふふ、そうですね。あ、そうだ理姫さん?さっきの歌は録画させていただきましたから、あとで来ヶ谷さんにデータ転送しますね」
「え、ええ!?」いつの間に?
「うん、りっきゅんの歌声は、それこそリリンの生んだ文化の極みだな。
澪を弄るのと同じくらい萌えちゃったよ、おねーさん」
「ぜひぜひ世界の皆さんに、姉御とムギちゃんの演奏で花開く
りっきゅんの魅力を伝えたいとこですナ」
「萌え萌え、キュン!」
またもや凄絶な音が炸裂し、2人が轟沈する。
「バカたちにはデータは渡さないから安心してくれ、りっきゅん。
実際いまになってから言うのは申し訳ないんだけど、
どっちみちさわ子先生がムービーカメラを仕掛けてたのは事実なんだ。
一応、演奏時だけ廻してたということなんだが。私たちも全員撮られてるから、
まあ諦めてくれ。どちらにしても、貴重だがあくまで個人記録だ。
まちがっても動画共有サイトとかにはアップはしないし、させないから・・・
私も恥ずかしいしな」
澪さんの説明に、一応納得。
「澪ママに保障してもらえるなら信じます。
でも、そうなると、さっきリキの歌声で泣いちゃったところも
撮られちゃってるんですね、わふー・・・」
でも、なんとなく、クドの顔が安堵だけではない赤みをさしているのは、
夕日だけのせいでもないような気もした。
「でも、もしかして、放課後ティータイムが数年後に有名になっていたら、
やっぱり結局ブートレグになったりしてるかもな」
唯湖さんが、苦笑まじりに言った。
「でもそれは・・・」
突然に、僕の耳に唇をよせて。
「理樹くんは本当にライバルが多い。
でも、できれば、私もその中の一員にはなっていたいな。
今日、またライバルを増やしてしまったような気もしないでもないが、
いつかは、君を抱いて新居に入りたいものだ」
「え・・・それって、お姫様抱っこされるのは僕ってこと?」
「似合うのはどっちか。それもまた真実、それだけだ、少年」
その言葉と同時に、傍にいた紬さんが微笑したような気がするのは、
・・・きっと気のせいだよね、うん。
「ああそれと」
来ヶ谷さんは、澪さんと梓ちゃんに向かって。
「今日は2人の猫耳カチューシャを拝することができなかったのが心残りだ。
こちらに来てくれるときには、ぜひつけてきてくれ。
きっと鈴くんと私が喜ぶ。あと恭介氏もかな」
ああ、もう。
そのあと、結局後夜祭になるまで騒ぎが続いたことは、もう言うまでもないよね?
10/09/12 18:30更新 / ユリア