それから、私がケース入りのアンプを抱えて上った
幸いにも灯が言う屋上は楽器屋のある五階の二つ上、つまりは七階の上にあった
七階のフロアは飲食のお店が数店あるだけで、下ほどの賑わいはない
わざわざご飯を食べた後に七階からエスカレーターもエレベーターも使わずに階段で下りるお客などいるはずもなく
しんと薄暗い階段にスパイは足音を鳴らし、誰ともすれ違う事なくてっぺんを目指していった
***
「はぁ…はぁ… 」
一歩上がるにつれ、最初はなんて事なかった重みも蓄積し、柔らかい手の平にのしかかった
固くてザラザラした肌触りに、支える皮膚は逃げ場もなくジンジンやピリリと赤みを増やしていく
膝小僧にかかる負担も大きい
「…はぁ、はぁ…っ 」
「大丈夫?、少し休む…?、てか代わろうか? 」
「いや… 」
けれども、今日ばかりはそいつらにも私の底を突かせる事は出来そうにない
「ううん…大丈夫、行こう 」
それどころか、この泥臭い汗や筋肉痛を約束した疲労が
気を抜いたら笑みを漏らしてしまいそうなほど気持ちいいくらいだ
(あと…もう少し )
痛いよ…二の腕が震える程に
でももう、自分が目的の為に努力出来ている実感に、これほどまでの生き甲斐を感じていたから
やりたい事を全力でやれている、飾りっ気ゼロの‘熱気’
それがこんなにも生きてるって、身体中を潤う刺激で満たしていた
(一ヶ月前じゃ、きっと絶対、こんな気持ちにはなれなかったんだろうな )
結局、私は最後まで、アンプを地べたに下ろする事はなかった
………
そして、ついに駅ビルの屋上へ続く分厚い鉄扉の境界線に立つ
灯の手に冷たいドアノブがグッと握られる
(ドクンッ… )
不思議だ、ドア一枚開けるか開けないかで、ホントに人ってこんな興奮出来るものなんだね
「ほんじゃ、行きますか 」
そしていざ、万を持して最後の舞台の一端が
「せーのっ! 」
――勢いよく開け放たれる!
(――ッ!! )
***
その瞬間、待ってましたとばかりに高所の風圧が私達を吸い出した
薄暗く冷たかった空気はどこへやら
フライング気味に飛び出した前髪はパタパタと揺れ、腕捲り二回半のブラウスに新鮮な風が流れ込む
水分をたらふく含んだタオルであおがれてる爽快感だ
(こんなところに、本当に屋上があったんだ )
普段利用している人も、知っている割合はどれくらいだろう
普段からお客に開放しているそこは、ビル内に比べるとかなりに小さく
ベンチ一つもない、平面が広がるだけの殺風景な空間
まるでここだけが街とは別に時間が止まったように思えた
「やっぱり屋上はいいね 」
それでも、女子高生二人には申し分ない豪華さだ
痛快だ、何もなく取っ払ったそこには――‘空’だけがあった
見上げれば、澄み渡る夕闇空がすぐそこまで迫っていた
今にも吸い寄せられそうな感覚、天空に自分が立っている快感すら覚えた
手ぶらの両手を泳がせて、雲さえ掴めそうな気分になる
(最高の、最後にふさわしい舞台なんじゃないかな )
多分それは、イヤホンで耳を塞ぎ腐りながらエレベーターのボタン一つでは見れなかった景色で
多分それは、努力をした先に思い描いた、特別な空気と空だったんだと思った
そして、ここが起死回生、一夜限りとなる私達の戦地だ
「さて、ちゃっちゃと終わらせるのさ 」
汗を涼ませる心地いい空気の中で、灯はしゃきっと言った
それはどこか楽しげな、嬉しそうな仕草も混じっていた
………
「誰も、いない
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