……いた。
こもりきった不快な臭い。
扉一枚開いたその先、今にもかごめ歌が聞こえてきそうな空間に、それはいた。
ぼてりと、まさしく死体のような不気味な姿に変わり果てて。
「……私を助けてくれたあなたは凶器ですか? それとも、魚の形をした別の何かですか?」
弱々しい声、小さく震える唇からこぼれ落ちた問いかけは、どんよりした空間の中に溶け込んでいく。
ほの暗い闇の底にひっそり横たわっていた命の恩人。その前に立ちすくむ私。
押し潰されそうな胸の鼓動をなだめ、それから前の物体に対して精一杯の言葉を発した。保険的な言い方で。
「ちょっとだけ、確かめるだけだから……」
震え続ける指先で、恐る恐る、バスタオルに包まれたまぐろに触れる。
(ッ、冷……!)
するとそれは想像していたよりも冷たく、私は反射的に手を引っ込めてしまった。
もう一度、今度はゆっくりとまぐろに触れる。
縛っていた紐も少し手こずりながら解き、包んでいたバスタオルを剥がした。
確か水玉模様だったはずのそれは、一年間の埃を浴びて、今では洗濯しても元の色には戻らないほどに汚れがこびりついていた。
まぐろ自体に関しては全くの変化は見られないものの、季節を通して湿気や埃によってぼろ雑巾のような有り様になってしまったバスタオルだけが、閉じ込めた月日と歳月の重みを感じさせた。
薄暗い押し入れの世界からまぐろを半分引きずりながら抱え出す。そして一年ぶりに光のある世界へと放つ。
その瞬間、私は初めてまぐろの明確な色と形を知った。
死体などでは、到底なかった。
腹部を中心に全体的にかかる銀色は、動かすたびに部屋の蛍光灯の光をキラキラと反射させた。反対に背や尾びれに染まる青みがかった黒色は、まるで深海のような深く暗く重い色をしていた。
尾びれは力強い三日月形をしていて、付け根だけが異様に細い。
(すごい……綺麗)
まじまじと見た第一印象の感想は、まずそれだった。
「これが、あなたの姿なんだね」
そんなとき、ふとまぐろの腹部に視線を向けたときだった。
(なんだろう、これ)
銀色のまぐろの腹を指でなぞると、何やら小さくマークとも目印ともバーコードとも言えぬものが刻まれていた。普通のまぐろには絶対ないものである。
それを目を凝らして見ると、パソコンで打ったような黒色のローマ字で小さくLilys≠ニ刻まれていることに気づいた。
「……Lilys?」
どういう意味だろう? まぐろをそっと床に置き、机に置いてあった英和辞典を開く。
(Li、Li、あったっ)
その瞬間、驚いたと同時に、ああそうか……そういう意味だったのかと、私は思わず納得してしまった。
Lilys(リリス)
意味を日本語に直すとユリ
そう、私の名前だ。
何の因果なのだろう。
このまぐろの名前なのだろうか、わざわざ「YURI」という私の字ではなく、花の百合を表示しているあたり、きっとこれは私の名前の意味を含めた、このまぐろの名前なのだろうか。
「Lilys(リリス)」
そう呟いて、今度はまぐろの尾びれの付け根あたりを右手でぐっと握った、同時に左手も添える。
なぜだろう、さっきとは違い、今は先程よりまぐろの冷たさを感じない。それどころか、ギュと握る感触がやけにしっくりくる。
チラッと視線を横にずらすと窓に映る今の自分の姿が見えた。
そしてその刹那――私は愕然とした。
まぐろ、いや、リリスを構えている私の姿は、まるで大きな刀を構えているかのようだった。
鋭く尖った刃先のように銀色に光るリリスの
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