喫茶店を飛び出して、暗い夜道を進む奏の後についていく
言葉を交えることもなく、振り向くこともなく、涼しい青い風の向こうへ歩いた
でこぼこ道を過ぎ、階段を下り、いろは坂に出る、目の前には目的地の桜ヶ丘公園が見えた
***
-桜ヶ丘公園-
そして現在、静かな静かな夏の夜、ふたりは古びたベンチに座っている
「この時間… 一番綺麗なの…」
奏が少し得意げに呟く
その言語通り、目の前には視界の端から端まで、活気ある熱をおびた花火大会前夜の街並みがたたずんでいた
それはまるで、文化祭の前夜にも似た匂いや気持ちを思い出させた
「…うん…」
でもそれと同時に、ただ二人がその場に取り残されている気分にもなった
右に座っていた奏が、おもむろにフタがわりに包んでいたバスケットの布を開く
「…お腹…減ってる?…」
ジト目の少女がまたもロボットのような口調でポツリと呟く
麦色のバスケットの中には、今さっき作られたばかりのシナモンロールが六つも入っていた
こんがりきつね色の焼き色に自作の渦巻き模様が可愛い
シナモンの甘い香りがふわっと広がった
「………」
私が答える前に、白い包み紙にくるまれたその優しい塊を、奏はすっと差し出した
「ありがとう、いただきます」
正直今の私には自分がお腹が空いているのかも分からなかった
冷たい唇で静かに噛みしめ頬張ると
(…! )
不意に感じたことのない甘くあったかい温もりが広がった
たぶんそれは、お母さんの作ってくれたおにぎりに匹敵するくらいな、平凡でありふれて、でも奏の優しさがぎゅっとたっぷり詰まっているようなぬくもりだった
そのとき初めて思い出した、私はお腹が空いていた、ひどく空っぽにすっからかんだった
だからついまたもう一口頬張った
「おいしい、本当においしい 」
どうしようもなくがつがつ頬張って飲み込んで、…なんでだろう
枯れるまで流しきった涙が、真逆の理由でもう一度瞳に染み込むように溢れてきた
「っ…ぅ…ッ」
気がつけば、たかが菓子パンの仕業に、私は背中を丸めて鼻水をすすっていた
「…よかった」
私の味気ない感想でも奏は満足してくれた
動作もなく、小さく笑ってくれた
そこで理解する
言葉ではうまく表せないけど、きっとこれが私にくれた奏のモノなんだと
震える私の横で、奏は冬に使うような紅葉色のひざかけを膝の上にちょこんと乗せて、私と同じように、寄り添うようにしてシナモンロールを食べた
言葉さえない奏の優しさに、また少しだけ、刺々しかった私の心が救われた気がした
そんなことを思って、残った手の中の温かい菓子パンを、冷めないうちにまたかじった
***
今は何時だろう、黒や紺の夏の夜が深まり、大きな街並みがオレンジ色に揺れている、京王線の電車が走って、いつものように駅前が騒がしい
「ねぇ、奏…?」
奏にそっと出された紅茶を飲みながら、柔らかい夜風に垂れ下がった前髪をなびかれながら、私はもう一度奏に尋ねてみた
「…??…なに…」
(……)
もう一度繰り返し、私は思いつく限りの言葉で心の悲鳴を口にしようとした
「あのね…実は今日、灯とすごい喧嘩しちゃったんだ、ひよりとも会えなくなっちゃって、有珠とも…昨日別れちゃって 」
口にしている自分でさえ、途中からその言葉が辛く胸に響いてきた
「奏は知ってると思うけど、私達は明日のために頑張ってきた、一度きりしかチャンスがない、ウィッチを捕まえるために……だけどでも それがもう」
頑張った、でも一つだって残ったものはなかった
幼い私達には無力だった
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