第51話


民家の脇を過ぎると、甘いカレーの匂いがした

夜中、日だまり喫茶店にたどり着く

息も出来ないくらい疲れ果てた足が店の床を踏む

「奏 いるかー? 」
擦りきれた息のまま、明かりのついた店内に問う

「………」
朝のときのように、むくりと奥から奏が顔を出す

「……大丈夫?? 」
ボソッと、第一声に怪訝そうな声で奏は聞いた

「なにがさー? 」
額に髪をぺったり張りつけて、あたしは陽気に言った

「いや…別に… 」
奏は声を逸らした

「それより届いたさー? 」

「……こくり 」
小さな頷きの後、奏は奥から新品のビニールに包まれた二着の黒い服を持って、あたしに差し出した

「ありがとうな やってくるよ 」
ビニールが形を変えるほどぎゅっと強く握り
並々まで膨れた勝機を混ぜて、あたしは噛みしめるように言った

最後の要件を済ませたところで、あたしは一息のついでにテーブル席に腰かけた

「……? 」
無表情のまま、奏は首を傾げる

「ひよりに渡す作戦内容を書いたメモだよ 」

「ねぇ…左手…」
それよりもと、奏が思わず眉をひそめた

「大丈夫、なんてことないさよ ちょっと転んだだけさぬー 」
はぐらかすようにくっしゃり笑って、あたしはごまかした

油性ペンで書いたメモを二つ折りにし、ポケットに忍ばせる

「んじゃ 行ってくるよ 奏」

「……なんで …そこまで 」
扉を開けようとした瞬間、奏が哀れむような声を放った

「朝、言ったでしょ ‘あたしの人生をかけるに値する仲間達だ’って 」
振り向いてはだめだ、なぜかそう思った

「それにさ、約束だから… ‘ウィッチを捕まえる’って」

「約束は、守らないとな 」

「………」
奏からの返答はなく、口ごもるような息だけを吐いていた

それは二三秒と続き、あたしは渋々ドアを開けようとした

そのときだった

「ボ…ボクも……」
震えた小さな声が、恐る恐る振り絞るようにして店内に漏れた

「ボクも……か…」
口から出かけた何かの葛藤を、奏は必死に床に落とした

「ボク… も… 」

「‘変われるさ’」
なんて言えばいい? そんな考えより先に、押さえきれずその言葉は飛び出していた

「……!」
ピリリと店内に放たれた不意討ちのような言葉に、奏は反応した

「そう簡単に何もかもが出来るとは思わない ブランクがある奏なら尚更」

「………」

「けど変わろうと思えたなら、すでに奏は前とは変わったってことなんだと思うな それならきっと、変われるよ」

「変わりたいだなんて思えたならさ 今夜中にだって、明日にだって変われるよ 」

「……こくり 」
表情は見えない、だけど、奏は確かに前を向いて頷いていた

だから安心して、一区切りをつけて、あたしはドアを力強く開けた

ただ最後に、今から起こりうる事を伝えておくべきだと思い、言った

「有珠なー あのちっちゃいいじめられっ子、あいつきっと、今夜中に奏をいじめてた‘いじめっ子達’倒しちゃうよ 」

「………」
奏はそれ以上の言葉を発することなく、あたしの後ろで懸命に何かを立ち上がらせようとしていた

静かに、何かを掴もうとしていた

「携帯ありがとう、助かったよ 」
もうあたしは邪魔だ、奏を見て、そう確信した

あたしは、日だまり喫茶店を出た

***

季節の匂いを傍に、喫茶店が遠くなっていく

胸の高鳴りに麻痺してか、左手の痛覚が仕事を放棄してる

雨上がりのような蒸し暑い夜が一段と深まり、行き場を無くした夏草の濃厚な匂いが、坂道にしっとり溜まっている


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