さて、それから遡ること2時間前。
えみるは、史上最悪の局面に直面していた。
そりゃもう、胃に穴が開き、ナチュラルブラウンの髪が全部白髪になってしまうんじゃないかと危惧するくらいのとてもとても恐ろしい局面に。
「〜店、入ってますかー」
「はいっ!お疲れ様ですっ!」
「何だろうねこの実績は。これで君仕事してるつもりなのかねー」
テレビ会議の席上、画面の向こうの統括部長は冷たい言葉を投げかける。
それはまるで『女だから』『弱者だから』どれだけ責めてもいい、とでも言いたげな感じを含んだ声。
「今度巡店に行くまでにさ、10個改善すべき項目を事前にメールしてちょうだいよ。それを元に改善してなかったらほら、君の指導力だって試せるわけだしさ」
「かしこまりました…」
針の筵。それがよく似合う形容だろう。
そしてゆりに不意打ちキスでビンタされたことも重なり、彼女は、すっかり落ち込んでいた。
「指導力、かぁ」
今日も今日とて閑古鳥の鳴いている店内。PCコーナーで翠が数少ないMacのパソコンを弄り、脱獄ーと喜んでいる。相坂は冷蔵庫コーナーで若いご夫婦を接客中。決まったのか、クロージングカウンターにご案内している。場所から考えれば単価15万前後の冷蔵庫だろう。
それでも、本社から与えられている今日の予算80万円には程遠い。通常店舗では80万なんてむしろ行かないほうが問題の数字でも、小商圏はその80万が遠い。店によっては本当に数字に伸び悩むことだってままあるのだから。
「やっぱり百合愛さんに店長を譲るべきなんでしょうか」
そういう意味では、自分より仕事が出来て、社員からの信望がある百合愛に店長職を譲ってしまったほうが楽なんじゃないのか、全体の負担が減らせるんじゃないのか、そんな風に不安にもなってしまう。社員がそれを望んでさえいたら…。
「でも、いらない子になっちゃうのは、イヤです」
入社した5年位前。まだ短大を卒業したばかりで、社会の何たるかが分からなかったえみるをここまで人間的に肝を据わらせてくれた会社。入社2年目で女性管理職制度が始まり、郊外型店舗の副店長(チーフフロア長)を経て、今年小商圏店舗の店長に着任。
順風満帆すぎて、ここで挫折するのは重圧が大きすぎるかもしれない。
立ち上がれるんだろうか、この2本の脚で。
いっそねじ伏せられていたほうが幸せなんじゃないか、そう思う彼女に。
「HAHAHA。悩んでいる顔なぞ店長らしくないぞ。どうしたね」
「…平社長」
色黒で、がっしりした体。陽気だが抜群の安定感で知られる(有)たいら電気サービス、この店の配送工事を担当している協力会社の社長、平だ。
「那覇たちの様子を見に来たら留守だったからな。電話の一本でも入れてくるべきだったかね」
「いえ、それは別段…。それに悩んでなんて、いません」
泣きそうになるのを堪え、いつもの笑顔を作ろうとするが続かない。すぐに陰る顔。
「麻倉さんや。いいかい、面白いってのはな、前を向いていることなんだよ」
「…?」
突拍子もないことを言い出す平に、えみるが首をかしげる。
「前向きになるからって面白いとは限りません」
「いんや、面白い。何でかって言うとだな。前を向いていりゃ、太陽はいつだって顔に当たって影がない。顔が輝いて見えるから面白い。失敗や敗北で落ち込んでるヤツはいつだって下を向いている。だから光が当たらなくて面黒い」
えみるの肩を叩き、そして。
「誰も面白くないヤツのそばにゃ寄りたくないもんさ。せっかく相坂だの秋山だの、面白いヤツが集まってんのにさ、あんたの顔が黒かったら、誰が支える気
次へ
TOP 目次投票 感想