普段から少し人通りの少ない平日のこの町も、夜が支配する刻限にもなるとイルミネーションと街燈だけが寂しく街を照らす。そんな街外れの高層マンションの10階、とても夜景のきれいな一等室から、吐息は漏れていた。
熱を帯びた声、女性特有の淫靡な香りに混ざって、優しいミルクのような香り。触れ合う粘膜の音と、繰り返される接吻の音。
「百合愛…」
「ときるん、ちゃん」
妖艶な眼差しで獲物を狙う雌豹、かたや、蛇に睨まれたアマガエル。
仕事では上司部下の関係の二人も、ベッドの中では立場が逆転し、今みたいな状況になるのだ。
「んっ…キスマーク付けてやる」
「やぁっ…」
百合愛の首筋を甘噛みし、そしてなぞるように舐める相坂の赤い舌。
抗う術を忘れ、されるがままの百合愛。
「これで明日のテレビ会議に出るの。すごい物議を醸すでしょうね」
「あぁ、その件なんですけど、なくなりました」
「へぇ?」
彼女が言うには、あの後えみるのほうからこれまで店長らしいことが何もできなかったから、と会議に出席するので、7連勤目の百合愛にはお休みをあげる、という話になったそうなのだ。
(もっともえみるが本来休み。ゆりとの約束が反故になるため、血の涙を流しながら提案して来たらしいが)
「だから明日、部屋に一度戻って、荷物を持って来ようと思います」
「ふぅん?やっとあたしと一緒に暮らす気になったんだ?」
頬をぺろっ、と舐めると、百合愛も仕返しとばかりに同じことをし。
「はい。通勤も楽になりますし、なにより」
今度は年上だからとマウントポジションを取り。
「い、愛しい人のそばにいれることが幸せなんだって、わたしにも、分かりましたから…」
年上の威厳を見せ付けるために偉そうにマウントを取りながら、結局恥じらって目をそらす可愛い乙女に、相坂は。
「あたしも、あんたのそばにいられることが嬉しいし、そこは素直に同意ね。あ、百合愛」
抱きしめ、髪を撫で、耳たぶを甘く噛みながら、囁く。
「勝負下着とか、期待してるわよ」
「はい。ときるんちゃんといると、乾かす暇、なさそうですから」
年上の女性は、微笑みながら、キスをしてきた。
その頃、海岸沿いを走るのはご存じ那覇の180SX。
「お兄ちゃんと久しぶりに帰宅だねっ」
「あぁ」
「部活が長引いたことに感謝だよー」
「あぁ」
「くすっ…お兄ちゃん、あぁしか言ってない。ゲンドウさんみたいだね」
「放っとけ」
カーブの多い山道は彼にとって大好物。それゆえ集中しているのだろうか、生返事がとても多い。だがそれ以上に、妹が隣にいるから危ない真似はしないという兄らしさも感じられて。
那覇 雪姫。ただし、雪姫と書いて『ましろ』と読む、ある種DQNネーム。それが嫌で、普段は『ゆきひめ』と呼ばせているし、彼女自身そう名乗っている。
歳の離れた長兄と末っ子ということもあり、彼は中学3年生のこの妹をとても大切にしている。
その過保護さたるや、かつて彼の妹と知らずに彼女をナンパした吾作の納車したてのマジェスティを素手で大きくへこませ爆発させたほど。それ以来彼女を見ると吾作は無意識に敬語になるという。
「たごちーをいじめてない?」
「いじめる価値もない」
「お兄ちゃんってばひどいんだー」
テニスのラケットが入ったケースを突きだして。
「前の車ばくはつしろ!」
「するか馬鹿」
「うー」
車の中が騒がしくなる頃、山の中腹にある那覇家は目の前だ。
「今度たごちーも誘ってご飯行こうよ」
「あぁ、気が向いたらな」
「いいお給料もらってるんだから奮発してね」
「お断りだ」
吾作のことを気に懸ける妹を
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