生き急いでるわけじゃない。ただ必要とされるものが多かっただけ。
誰だろうか、そんな素敵な言葉を言ったのは。誰だろうか、そんな価値観を持ったのは。
那覇は自室で床の間に飾っている刀を見つめる。
そして、刀掛台から刀を取ると、振り返り、見えない何かを斬るように抜刀する。
「…」
そしてまた刀を鞘に納めると、黙って見えない何かに一礼。
「…」
「お兄ちゃん、お風呂空いたよー」
「あぁ」
タイミング良く、ドアの向こうで妹の声。刀掛台に刀を戻し、そして。
「風呂の前に茶が欲しい。用意しておいてくれ」
「わかったー」
雪姫の声が遠くなる。そして。
「…残された時間は、後どれくらいだろうか」
俺が、妹を見守ってやれる時間は、残されているのだろうか。
凛とした空気の中、雑念だけが、彼の腹の中に渦巻いていた。
「お兄ちゃん、お部屋で刀振り回したら危ないよ?」
「大丈夫だ。刃は付いていない」
「そーゆー問題じゃなくて」
風呂の前に茶を飲む習慣は、別に誰かに頼まれて始めたものではない。
風呂から出ると雪姫は大概部屋に戻りそのまま寝てしまう。部活疲れもあるのだろうが、それで語らえないのも寂しいのだろうか、普段硬派過ぎる那覇もこの時くらいは兄に戻る。
「お兄ちゃんの殺気、怖いほど伝わるんだ。分厚いドアが隔たっていても」
殺気、か。
思い当たる節がないわけでもない。無性に、殺してやりたい存在がいないわけでもないからだ。
「例えばそいつを斬ることが出来たなら、俺は、寿命が半分になっても構わないんだけどな」
「たごちーとか?それとも翠ちゃん?」
「どっちも外れだ。前者はもはや寿命を縮めるほどに値しない」
「ひどいんだー」
くすくす笑う妹を苦笑いで見つめ、今一度彼は思う。
---こいつを見つめてやれるのは、あとどれくらいだろうか---
ベーチェット病。
やがて目が見えなくなる不治の病に冒されていると診断されたのは、半年ちょっと前のことだ。運転中いつになくピントがぼやけることに疑問を感じ、協力会社の社長にちらっと話した時、いい医者を紹介してやると言われて診断してもらった時。
『俺もベーチェットの患者さんは何人か受け持ったことがあるが、残念ながら治療経験はなく大概アメリカやドイツで独自に治療を受けることが多い。そしてその彼らも治ったという報告は聞かない』
『…』
『今ではいずれ来るその時を少しでも遅らせるための延命策しか取れないんだ。俺も努力する、だから那覇さんよ、あんたも、絶対にあきらめないでくれよ?』
『…』
何が諦めるなだ、と自分でも思い苦笑する。
そんな治らないという前置きを出して話を進める卑怯者、それでも彼は医者だ。タマを握っているのはまさに彼。黙って言いなりになる気はないが、それでも。
『んじゃ先生さんよ。頼みがある』
『言ってみてくれ』
『妹には、そう、たった一人の大切な妹がいるんだ。そいつにゃ、黙っててくれねぇか?』
『…』
『あいつ、もうすぐ受験だしよ。それに、つまらねぇことで、誰よりも強くたくましい兄貴って存在をぶっ壊してしまいたくねぇんだ』
『結果的にそれが妹さんを後悔させるとしても?』
医者の深刻な言葉に、彼は。
『そんときゃ、そんときで考えるさ。その間に運よく幸運の女神様が俺の祈りを聞き届けてくれたら御の字ってところでな』
屈託なく笑う妹。
口から出るのはいつも吾作のことばかりだ。吾作をいじめてないか、吾作をもっと大事にしろ、って。
ハンドルを握らせるだけじゃ、飽きたらねぇってのか。
心の中で果報者の吾作の顔を思い浮かべ、思いっきり
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