アマービレ・エ・カルマート

「ムギ」
わたしは音楽準備室の扉をあけて、そう呟いていた。
ムギは眠っていた。
いつもの、お茶会用に固めたままの机に突っ伏して。
ひとりだけで。
首を窓側に傾けて。
右腕を枕にして。
艷やかな金色の髪を、机に広げて。

今日はたぶん、だれも来られないのがわかっている。
唯と律は呼び出し。
あのふたり、大学受かったくせに
肝心の学校で補習が必要な身分になっていて、
あと2回、今日と明日は午後からの補講に出ないと
卒業させてもらえない。
文字通りの自業自得とは言っても、
さわ子先生に伝えられた時の、
あのふたりの情けない顔は今思い出しても、
悪いけど笑ってしまうものがあった。
数学とか英語とかならまだわからなくもないけれど、
なんでまた、普通に勉強しておけばどうにでもなる倫理政経と
一番トラブルになりそうもない現代語で。
出席はちゃんとしてたんだから、よっぽどテストがひどかったんだろう。
あのふたりらしいといえば、そうなんだけど・・・
そして梓は昨日集まったあとの帰り際、
クラスの会合で、今日は下校時間くらいまで
来られないだろうって言っていた。
思い当たるふしはある。
たぶん卒業生がつける、コサージュのことだろう。
そういえば、私たちも去年つくったっけ。
あれも唯と律はなかなかうまく作れなくて、
結局律が私に、唯が憂ちゃんに泣きついて、どうにか仕上げてたのを思い出す。
そういえばムギがあのとき、ちょっとだけなにか言いたそうだった。
でも結局、ムギはなにも口にしなかった。
教室まで来てくれた憂ちゃんと唯が仲良く作業をしているのを、
微笑ましげにみつめるだけで。

思えばムギは、自分から、自分のことをあまり話さない。
そもそも眠ってる時にでる謎の寝言以外、
私もみんなも、ムギの独り言とか自分からの提案とかって、
思いだせることが多くはない気がする。
いつも言い出しっぺのみんなにあわせてしまう方だと思う。
みんなの思いつきや提案に賛成して、
後押しするのを自分の役割だと思っているかのように。
みんなのために何かをすることが楽しいと、いつもムギはいう。
律も唯も梓もどこまで気がついているのかはわからないけど、
一人早く登校して、お茶会のためのお菓子やお茶の準備をしたり、
食器の手入れをしたりしてることを、わたしは知ってる。

そもそも、ムギなら自分で携えなくても、
持ってきてもらうことだってできるだろう。
ムギはこの学園の理事長先生の姪なのだから。
そして琴吹家の令嬢。
普段ムギは、絶対に、そんな姿をみせはしないけど。
そもそもクルーザーを持っているような家の娘が、
どんな暮らしをしてるかは想像がつく。
でもそんな様子は絶対に、本当に絶対に。
ムギは誰にもみせない。
電車で通ってるのに、帰りはいつも唯と梓の家の方まで一緒に行っている。
そのへんちょっと疑問に思って梓に聞いたんだけど、
「ムギ先輩、唯先輩のおうちから私の家までいつも一緒なんですよ。
でもそのあと、わざわざ駅までもどっているんでしょうか?」
とだけ言っていた。
ムギのことだから、迎えがきていてもおかしくはない。
でもその一方で、ムギはそんなことをさせない気もする。

でも隙というか、リラックスしたところをみせないわけでもない。
そんなところが、わからないし、可愛い。

自分のことはわからないけど、少なくともムギはいびきとかはしない。
静かな寝息だけが、わたしの視線の先で息づいている。
ムギは私に気づかず、眠り続けている。
起こしたくなくて、それ以上声をかけるのをやめて、まず扉をとじた。
どんな
次へ
ページ移動[1 2 3 4 5 6]
TOP
投票 感想
まろやか投稿小説 Ver1.30