――GAME START――
 
「ふん…また来たのか」
 
 この世界のボスが目の前に立っていた。
 
「まったく、とんだ余興だ。そう。ゲームみたいなものだ。また、始めるのかい」
 
 …あたしは、もちろんと頷いてみせた。
 
 ……いつものやり取り、ゲームスタートの合図。
 
 もはや幾度となく繰り返したせいで此処での会話からは意味すら失われた。
 けれど敢えて向き合う、いつもの気に食わない仮面男。…時風瞬と。
 
 このやり取りは会話ではなく決意表明だ。
 何度でも繰り返す、…繰り返し続ける。
 そしていつか必ず辿り着いてみせる。あたしと理樹くんのふたりで…。
 
 下げた視線を持ち上げる。そして立ちはだかる仮面男を睨みつけて…………。
 
 
 
 
 はあっ?
 
 
 
 
 此処でのやり取りはお決まりだ。お決まりの筈だ。
 もはや何十回もここで時風は同じセリフ、同じ仕草を繰り返し、あたしはその度にまったく同じことを言われ続けてきたのだ。
 だから時風はいつものように、『ゲームスタートといこう』とか、『去りたくなったら自分に引き金を引けー』とか言うものだとしか思ってなかった。
 
 
 
 ――その筈だったんだけど。
 
 
 
 目の前の仮面野郎はコメディ番組の役者ように両肩を竦めるとやれやれといいたげにかぶりを振っていた。
 
 (なんかスッゴイ馬鹿にされている気がする)
 
 ふつふつと、体の奥底から怒りが沸き上がってくる。
 あたしはスパイだ。非言語の信号、ジェスチャーの類いもひと通り学んでいる。
 だからなんとなくわかった。コイツがなにを言いたいのか。
 
 
 
 
 《またですかお客さぁ〜ん。相変わらず懲りませんねぇ…。》
 
 
 
 
 ふと、引き金に掛けた指が軽くなった気がした。
 今ならなんのためらいもなくコイツを……。って!?
 まて、待つんだあたし。『まだ』なんとなくだ。なんとなくそんな気がするだけだ。
 乱されるな、そもそもこの仮面男とは騙し騙されの関係でしかない。これがなんらかの罠である可能性も十分に高いのだ。
 
「……いったいなんのまね?」
 
 強い語調で問い質す。今までこちらが何を言おうが意にも返さなかったヤツだ。
 油断は出来ない。
 
「……正直」
 
 時風はいつものように、どこかノイズが混じったような重々しい声を吐き出す。
 
 そして……。
 
「そろそろ飽きてこねえ…?」
 
 とんでもないことを吐かしやがった。
 
「…………は?」
 
「ぶっちゃけさ、このやり取りもう80回越えてんだぜ。…いい加減飽きてきた」
 
「…あ……、飽きたああぁあああぁぁーーーッ!??」
 
「…ああ、飽きた」
 
 ナニ言ってるのコイツ。
 
「あなたねっ! それが自分の役割でしょ!! それを飽きたってどういうことよッ!」
 
 時風の発言はあたしには許容出来ないものだった。
 ここまで必死に頑張って来たってのに、今更飽きたなんてしょうもない理由でやめられてたまるものか…っ!
 
「けどさぁ…」
 
「うるさいッ!」
 
 あたしは不満たらたらにぶつくさと文句を垂れる時風を怒鳴る。
 
「それともなに!? あたしを納得させられるような理由があるって言うの! あるんなら言えばいいじゃない! ほら言ってみなさいよッ!!」
 
 およそ一呼吸で言葉を吐き出したあたしは、反論があるなら言ってみろと、両腕を組むと鋭い目線で相手を睨みつける。
 
「当初の予定では…」
 
「な、なによ…っ」
 
 正直ここで返しがあると想定していなかったあたしは一瞬たじろぐ。 その様子に時風は、ふっ…。と短く笑うと改めて声を上げた。
 
「当初の予定ではお前は30回程度で最深部へ辿り着くものだと予想していた…。だが実際には80回を越えても進展の見えない泥沼状態へと突入した」
 
「うっ…」
 
「おまけに最近では何に目覚めたのか、自ら熱湯に飛び込んだりしだす始末」
 
「ぐっ…!」
 
「正直な話、闇の執行部内でも『あの人突然奇行に走り出すんで怖いんです』なんて意見もちらほら出始めてくるし」
 
「うぅ…」
 
「お前さ、頭は大丈夫なのか?」
 
 
 
 
 
 ――プ ッ チ ン。
 
 
 
 
 
「うがあああぁああああぁぁーーーっ!!」
 
 あたしは吠えた。喉が張り裂けんばかりに吠えた。
 怒りがあった。恥があった。焦燥があった。困惑があった。後悔があった。
 そして…。なによりも。
 
「あんたに言われたくないわよっ! この変態!!」
 
 コイツにだけは言われたくなかった。
 
「へ…、変態!?」
 
「そうよ! どっからどう見ても変態丸出しじゃない!」
 
「お、俺のどこが変態だって言うんだ!?」
 
「はっ、自分で気付いてなかったの?」
 
 あたしは心底小馬鹿にした表情で仮面男を見下ろす。普段の余裕ぶった態度が崩れ去った姿は酷く滑稽に見えた。
 
「まず最初に、その仮面はなに? カッコいいと思ってるの?」
 
「うぐっ…! こ、これは素顔を隠すために…」
 
「そ れ に」
 
 今までコイツには散々弄ばれてきた。殺されたり理樹くんの前で脱がされたり醜態晒させられたりで、あたしも随分と色々なものがたまっていたらしい。
 自分の内側から染み渡るようにサディスティックな悦びが沸き上がるのを感じた。
 
「それになに? 時風瞬って。そんな中学生が考えた僕の無敵ヒーローみたいな名前名乗ってて恥ずかしくないの」
 
「と、時風瞬は俺の好きな漫画の登場人物で…」
 
「知ってるわよ。学園革命スクレボでしょ。あたしも好きだもの。」
 
「そ、そうだろっ。…………って! 朱鷺戸沙耶もスクレボの登場人物の名前だろうがあぁぁぁーーーッ!!」
 
「………あ」
 
 (しまった。忘れてた!?)
 
「あ、あたしは…。い、いいい…、いいのよッ!」
 
「な に が い い ん だ ?」
 
 この時あたしは悟った。完全に攻守逆転したと。
 
「い、いや。それは…」
 
「お前だって俺とやっていることは同レベルだろ」
 
「それは…。そうかもしれないけど」
 
「つまり!!」
 
 先程までのヘコみっぷりは何処へやら、意気揚々と調子付いた時風は、ビシリとあたしを指差すと声高らかに断言した。
 
『お前も変態だあああぁああああぁぁぁーーーッ!!』
 
 ――ガアァァァーン!
 
「あ…、あたしが……。へ、変態!?」
 
「そうだ。お前は変態だ!」
 
 (変態……。あたしが変態……)
 
「ついでに言わせてもらえば、80回繰り返しても迷宮ひとつ攻略出来ないヘッポコスパイでおまけに脱ぎ魔だ」
 
「ヘッポコ!? 脱ぎ魔ぁぁぁ!?」
 
 あたしは変態…。
 
 あたしはヘッポコ…。
 
 あたしは脱ぎ魔……。
 
 (ああ…、そうかもあたしってば理樹くんの前で)
 
 
 
 
 
 
 『うんがーーーーっ!!』
 
 ダメだった。
 
 『きょげーーーー!!』
 
 ダメダメだった。
 
 『熱湯、いやっっっほーーーーーぅ!!』
 
 激烈にダメだった。
 
 思い返してみればまるでダメな記憶ばかりだった。
 カッコいい女でいられたのは出会った当初だけ。
 次第にメッキが剥れ始めてアホで間抜けな部分が露呈し出して、あげく。キレるは噛むはボケるは脱ぐは奇声上げるはでヘッポコ丸出しだった。
 
 それも…。
 
 それも…。
 
 (よりによって全部理樹くんの目の前でぇぇーーー!)
 
 
 
 
 
 ああ…、ダメだあたし。
 
 本当ダメダメだ。
 
 こんなんじゃ…、理樹くんにだって嫌われちゃうよね。
 
 意識が沈んでいく。
 
 暗い暗い底闇へ。
 
 ぼんやりと、次第に自分が薄れ出した気がする。
 
 
 
 そして……。
 
 
 
 ・
 
 ・
 
 ・
 
 ・
 
 ・
 
 『ファック!!』
 
 ――っ!?
 
 ふと、心の底から頼もしい声が聞こえてきた気がした。
 
 (この声って…)
 
 思考を巡らす。すると該当する記憶はすぐに出現した。
 
 そう――あれはむかし。…むかしの話だ。
 
 あたしがいっぱしのスパイになる前、まだ訓練中の頃の話。
 
 地獄の日々と、そこの支配者たる鬼教官。
 
 《口でクソたれる前と後に『サー』と言え! 分かったかウジ虫! 》
 
 《Sir, Yes Sir!》
 《ふざけるな! 聞こえんぞウジ虫ども!》
 
 《Sir, Yes Sir!!!》
 
 
 
 あんな〜こ〜と〜。
 
 
 
 《じっくりかわいがってやる! 泣いたり笑ったり出来なくなるまでな!》
 
 
 
 そんな〜こ〜と〜。
 
 
 
 《なんだそのみっともないざまは! じじいのファックの方がまだ気合いが入ってるぞ!!》
 
 
 
 あ〜った〜でしょぉ〜。
 
 
 
 (そうだ。そうだった)
 
 あたしはあの鬼軍曹の扱きに耐えてみせたんだ。
 なによ、こんなの軍曹の訓練と比べれば屁でもないじゃない。
 
 
 そしてなにより。
 
 
 (こんなあたしでも、理樹くんは好きだって言ってくれたんだからっ!)
 
 
 足に腰に、そして総身に力が戻ってくる。
 あたしは確かな足取りでうなだれた体を起こすと瞼を閉じたまま語りかけた。
 
「確かにあたしは変な女だわ」
 
 そう、あたしは変な女だ。不器用だし全然素直じゃない。
 
 それでも…。
 
「あんたの言うとおり、真面目やっても変な結果にばかりなるし」
 
 自分では頑張っているけど空回りしてばかり。
 
 それでも…。
 
「それでもね。こんなあたしのことを好きだって言ってくれた男の子がいたのよっ!」
 
 そう…。あたしはひとりじゃない。
 
 あたしは理樹くんと一緒だ。
 
「笑いたきゃ笑うがいいわ、馬鹿で間抜けな女だって笑いなさいよ、でもねこちとらあんたなんかにどう思われようがね、理樹くんさえあたしのことを好きでいてくれるんならちっとも堪えないのよ、残念だったわね、あーーーっはっはっはっ!!」
 
 そして閉じた瞳をカッと見開く。今のあたしにはもう迷いなんてなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「………………あれ?」
 
 ――目の前には人っ子一人いない暗闇の廊下が広がっていた。
 
「って! いねぇぇぇーーーっ!?!?」
 
 時風はいつの間にか居なくなっていた。
 
 ……はっ!? 
 
 ま、まさかあいつ!
 
「言いたいこと好き勝手に散々言われた挙句に勝ち逃げされたぁぁああぁぁぁーーーっ!!」
 
 夜の校舎。人気の絶えた宵闇の中、うがぁぁぁーーーっ! と、ひとりの少女の叫びが轟き、学園には新たな7不思議『夜の絶叫女』が誕生したという。
 
 
 
 
 
 ――GAME OVER――


 
←戻る