――人には無限大の可能性がある。――
 
 長く険しい生涯。その渦中で誰もが一度は耳にする言葉であろう。
 
 だがその言葉、はたして真実であるのか?
 
 
 
――否である。
 
 
 
 子供ならば。純粋な心と魂を不変に保持し続けられるのならば…。その言葉を信じ続けることもあるいは出来るのかもしれない。
 
 だが大多数の者は時が経つと共に悟ることになる。
 
 背丈が伸びて視界に写る世界が一段高くなるにつれ。
 
 書を紐解き新たな知識を獲得するにつれ。
 
 そして…、弛まぬ努力を重ね続ける度に思い知らされる。
 
 
 
 無理なものは…。
 所詮無理なのだと。
 
 
 
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――無理なものは、無理なのだ。
 
 西園美魚には常日頃から抱いていた懸念があった。
 
 それは彼ら出会った当初から心の隅で鈍い輝きを放ち、確かに存在し続けていた。
 
 たとえば熱と冷気が同時に存在できないように。
 
 たとえば光と影が互いを塗り潰しあうように。
 
 目の前のふたりは。致命的に、決定的に、そして壊滅的に何かが噛み合わないのだ。
 
 
 
 眼前のふたり…。
 
 
 
 直枝理樹と井ノ原真人。
 
 
 
 ……ぶっちゃけありえねーです。
 
 
 
「という訳で井ノ原さんは即刻荷物を纏めて退去してください」
 
「なんでだよっ!?」
 
 ある日の休日。突如《キンニク出てけ》と書かれた襷を肩から掛けた西園さんは、僕と真人の部屋を訪れるなり、開口一番で無茶なことを言い出した。
 
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――理樹視点(20分前)――
 
 それは普段と変らない休日。
 僕のすぐ隣で、声を張り上げながらひたすらに腹筋を鍛え続ける真人を横目に、ぼんやりと時間を過ごす。
 
――真人曰く。
 
 『理樹の知らねー所で勝手に筋トレすることは友情に反するぜ』
 
 とのことで、何故か僕の近くでやたらと筋トレをしたがる。
 
 廊下を兎飛びで移動する真人の姿を気にしないよう務めて歩き。無駄に気合いの入った形相を浮かべ、凄まじい勢いでスクワットを繰り返す真人をスルーしながら教室で雑談をすることなど毎度のことだったりする。
 
 おかげで部屋中に立ち上ぼる真人の汗臭にすっかり嗅覚が反応しなくなってから結構経った。
 ひょっとしてこれって麻痺してる?
 等とたまに思ったりもするが。
 
「ふっ…ふっ…。……367……368」
 
 今日も元気だねぇ。真人は。
 
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 そんなこんなで時間が経過。
 
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――でもって今現在――
 
 そう…少なくともついさっきまで、僕はいつもと変らない休日を過ごすつもりだったんだ。
 
 だがそんな僕が胸の内で描いていた青写真なんて何処へやら。ただいま目の前では野山の獣の如く唸る真人と、絶対零度の瞳で睨みつける西園さんが対立していたりする。
 
 (うわぁ。何この状況…)
 
 正直まったくもって理解不能でこそあるが、そうなるであろうと明言できることがひとつだけある。
 
 
 
 『僕は絶対巻き込まれる』ということだ。
 
 
 
――さようなら。僕の穏やかな時間。
 
―ーこんにちは。騒がしくも愉快で混沌とした時間。
 
 一触即発の現実を前に、理樹は思わず自分の目を叩くように覆う。
 その姿はまさしく、なんてこった…。といいたげなものであったそうな。
 
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「なんで俺が出ていかなくちゃならねぇんだよッ!」
 
 ひとり蚊帳の外の理樹を置き去り、怒声と共に真人がいきり立つ。
 
 いきなり理不尽なことを要求された為、本人はいたくおかんむりのようであった。
 
「ありえないからです」
 
 その巨体と全身に纏った筋肉のせいで、真人は結構威圧感みたいなものがあるのだが。
 にも関わらず美魚は至って冷静な態度を崩さない。
 
「ありえねーって。…なにがだよ?」
 
 返ってきた答えが抽象的なものであったため、理解の及ばなかった真人が問い続ける。
 
 その問いに対し、美魚は若干嫌そうな色を交えた表情をしながら目線を逸らす。そして一呼吸置いた後、ぼそりと吐き棄てた。
 
「………その筋肉が…」
 
「その筋肉が?」
 
「ありえません」
 
 ぴしゃり、と言い切る。
 
 
 
 都合10秒程真人の時が止まった。
 
 
 
「筋肉が否定されたぁぁぁあッ!?」
 
 凄まじい絶叫が周囲に響き渡る。
 あまりの声量に天井からは、パラパラと埃が降り注いだ。
 
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「まぁまぁ、ふたり共。とりあえず落ち着こうよ」
 
 理樹はそう言いながら重い腰を上げ、緩やかに歩み寄る。
 
 真人が何故かブリッヂしながら絶叫し。美魚がそれを呆れ果てた様子で見下ろしている状況にも関わらず、朗らかに対応するあたり随分と手慣れたものであった。
 
「あ゛あ゛あぁぁぁぁ!!?」
 
 アイデンティティ、あるいはゲシュタルト崩壊?
 自身の半身ともいえる筋肉を真っ向から切り捨てられた真人はこの世の終わりとばかりに慟哭する。
 
 兎にも角にも真人を立ち直らせなければ会話すらままならないだろう。理樹はそう判断すると彼の元へ歩み寄った。
 
 
「…ま、真人。ショックなのは分かるけど…」
 
 そう言い理樹は真人に接触する。軽く真人に手を添えると。ぐりん、とバネ仕掛けの人形のように首が動いた。
――ちなみにまだブリッヂしたままだ。
 
「なぁ…。理樹さんよぉ…。」
 
 (なんで若干敬語?)
 
「な、なにかな…っ? 真人」
 
「俺の筋肉を見てくれ。」
 
 そう言って真人はブリッヂしたまま器用に制服の袖をまくる。
 そこからは鍛えあげられた上腕が顔を覗かせた。
 
「こいつを見てどう思う…?」
 
「すごく…。筋肉です…」
 
 (…ヤ○ジュンですか、直枝さん…)
 
 寸刻後、理樹はハッとした表情で我に帰る。
 真人があまりにも絶妙なネタ振りをしてきた為、無意識に乗せられてしまったのだ。
 見れば美魚はとてもイイ顔で微笑んでいたが、理樹にはその笑顔の意味が終ぞ分からなかった。いや、分かりたくなかった。
 
 (ガチ系は私の好みではありませんが…、そちら方面の教養もちゃんとあったんですね。直枝さん♪)
 
――ぞくり。
 理樹は何故か背筋に言い様の無い寒気を感じた。
 
 (な…、何っ? このプレッシャーは…ッ!?)
 
 背後から押し寄せるような重圧を感じたが。そこにはウフフ、と微笑みを浮かべる少女がいるだけ。
 気にしてはいけない。理樹は本能的にそれを悟った。
 
――ゲフン、ゲフンッ!
 
 理樹はわざとらしく咳払いをすると、気を入れ替えることにした。
 ……今なお感じる怖気はこの際無視することにして。
 
 (とにかく今は真人だ。真人。)
 
 そう意識を切替え、いざ真人の方を見れば……。
 
 
 
 
 
 そこには…、抜け殻と成り果てたひとつの筋塊(誤記にあらず)があった。
 
 
 
 
 
「ま…、まさ…と?」
 
――反応は無い。
 
 筋塊はただそこにあるだけだ。
――ちなみにいまだブリッヂの姿勢のままである。
 
 (首、疲れない?)
 
 至極冷静な疑問が頭を過ぎるが今は捨て置く。
 
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 さて、どうしたものか。
 理樹は改めて部屋にある異形のオブジェ(ブリッヂしながら死んだ魚のような目でピクリとも動かない真人の図)を見る。
 異様な光景であるが、それは一枚の絵画のように静櫃であった。…もっとも芸術性は皆無だが。
 
 どうするべきか、理樹は妙案を探ろうと思案に耽る。
 
 @話し合ってみる。
 
 NO。そもそも反応すら無い。
 どっかの魔砲少女みたいに凹ったあとで話す訳にもいかないし。
 
 A西園さんの知恵を借りる。
 
 NO。背後ノ、プレッシャーイマダ健在ナリ。
 正直今の彼女から溢れ出るオーラ(薔薇色)は危険過ぎる予感がする。
 
 B放置。
 
 NO。そもそも此所は僕の部屋だ。
 それに長年の親友の真人を見捨てるのはさすがに気が重い。
 
 Cやっぱ筋肉でしょ。
 
 ………ですよねー。
 
 結局いつもの手段しか思い付かなかった理樹は、さてやるか…。と意気込み大きく息を吸い込む。
 
 
 
 
 
 すぅぅぅぅ…………。
 
 はぁぁぁぁーーー…………。
 
 
 
 
 
「いゃっっほォォーーーッつ!! 筋肉、筋肉ぅぅぅう!!」
 
 瞬間、恥も外聞も置き去りにした理樹は、二段飛ばしでギアを上げる。
 ここからはノンストップDA!!
 
――ピクリ…。
 
 真人が微かにわなないた。
 
「ほらほら真人。筋肉、筋肉ゥゥゥ!!」
 
――ピク、ピク。
 
 先程よりもさらに大きく真人が蠢く。
 
 理樹はなおも止まらない。今テンションを下げたら羞恥心で窒息するからだ。
 
 故にブレーキが壊れたかの如くひたすらに突っ走る。
 
「真人真人〜。一緒に筋肉しようよ♪」
 
――ピク……ピクリ………ピク、ピクピク。
 
 真人の反応が次第に顕著になり始める。
 筋肉の呼び声。親友の誘い。数多の刺激が真人の心をくすぐる。
 そして限界点を突破した瞬間、一匹の筋肉は逞しく羽ばたいた。
 
「俺が筋肉だあぁぁぁーーーッッ!!!」
 
 YRAAAAAA!!!
 
 ・
 
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 ・
 
 ・
 
 ・
 
「で…。落ち着きましたか」
 
「おうっ」
 
「…はい」
 
 あの後ふたりはテンションの赴くままに『いやっフゥゥゥーーッ! 筋肉最高!!』等とはっちゃけまくった。
 
 頭の中からっぽにして筋肉筋肉と叫び、踊り狂う。
 
 それはとてもとても充実した時間であったが、渾身のポージングで決めをして素に戻った瞬間。
 
 理樹は見た。
 見られた。
 
 つまり目を合せてしまった。
 
 
 
 
 
 (<●><●>)
 ↑こんな感じ。
 
 
 
 
 
 西園さんだった。
 
 そりゃそうだろう。自分をガン無視で筋肉筋肉と歌い踊るふたり組。
 
 呆れない方がどうかしている。
 
 結果、理樹は押し込めていた恥ずかしさが一気に込み上げ、その場に膝を付け崩れ落ちることになる。
 
 すぐ隣でキラキラと少年のような笑顔浮かべる真人の姿は、奇しくも酷く対照的なものであった。
 
「と、とにかく話を戻そうよっ」
 
 多少強引さを感じさせながらも。わたわたと場の流れを変えようと、理樹は空回り気味に振る舞う。
 このままでは針の筵の心地だからだ。
 
「それでさ西園さん。どうして真人が出ていくなんて話になったの?」
 
「そうだぜ西園…。さすがのオレもあれには傷付いたぞ」
 
 理樹と真人が矢継ぎ早にそう問い掛けると、美魚は軽く息を漏らした。
 
 それはようやく当初の議題に取り掛かることが出来る故の安堵だったのか。美魚は姿勢を正すと改めて口を開いた。
 
「直枝さんの相手に井ノ原さんは相応しくありません」
 
 …………実に誤解を招きそうな言葉である。
 
「ちょっとまてぇーーーっ!! オレが理樹に相応しく無いってのはどういう意味だよっ…!」
 
「それはもう…」
 
「それはもう?」
 
「隅から隅まで…」
 
「隅から隅まで?」
 
「ダメダメです」
 
 断言された。
 
「…………う……うおおぉぉぉ…ッ!? なんか意味はよくわからねーけどむちゃくちゃ傷付いたあぁぁ!」
 
 真人が頭を掻き毟りながら悶絶する。ちなみに転げ回る度に部屋の中の物が倒れ落ちてくる。
 
「ちょ…、ま、真人っ…。」
 
 部屋の被害などお構い無しに真人はのたうち回る。
 
「に、西園さんっ!」
 
「と言う訳ですので、わたしはここに宣言します」
 
「えっ…。無視?」
 
「『第1回、直枝理樹争奪戦(男子限定)』の開催をッ!!」
 
 クワッ、と目を見開き、拳を握り締めながら。美魚は高らかにそう宣言する。言動が普段の彼女らしくないが、それだけこの企画に力を入れているのだろう。
 
「んなもんする必要はねぇよッ! 理樹はオレのもんだ!」
 
 いつの間にか復活した真人がそう吠える。
 …しかし実に誤解を招きそうな発言内容である。
 
 
 
 まさにその時だった。
 そんな真人を嘲笑うかのように、その声が響き渡ったのは。
 
 《ふ……ふふふ……ふあーっはははは!》
 
「だ…ッ、誰だ!?」
 
 突然の笑い声。皆が驚愕に身を固める。
 絶え間なく発せられる声が、それは決して気のせいではないことを告げていた。
 
 《真っ昼間からいったい何を騒いでいるのかと思えば…。そんな面白そうなことになっていたとはな……》
 
「この野郎…。出てきやがれッ!」
 
 どこか緊張した声色で真人が怒鳴り声を張り上げた。
 
 そして、声の主はその姿を現わす…。
 
 
 
 
 
――ズバアァァン!!
 
 まるでぶち破られたかのような轟音と共に扉が開け放たれる。
 それと同時に滑り込むように室内へ突入してきたのは……。
 
 
 
 
 
「その話。乗ったあぁぁぁ!」
 
 謙吾だった。
 
 とてもイイ笑顔の謙吾だった。
 
「よりにもよって、一番めんどくせぇヤツが出てきやがったよ…」
 
 部屋に入るやいなや。ふはははは、と高笑いしだす謙吾の様子に流石の真人も若干引き気味であった。
 
「おいおい、随分なご挨拶だな。……まあいい」
 
 少しばかり憎まれ口を零した真人に一瞥をくれると。謙吾は美魚の方へ振り替える。
 
「その理樹争奪戦。当然俺にも参加する権利はあるんだよな西園」
 
 参加意欲満々の謙吾は、どこか上機嫌に資格があるのかを確認した。
 
「もちろんです。事後承諾の形になりますが、宮沢さんが参加することは既に確定済みでしたので…」
 
「ならばよし。…そう言うことだ真人」
 
 そうして謙吾は不敵な笑みを真人へ向ける。
 
「……なんだよ」
 
 それに対し、敵意を隠そうともせずに応じる真人。
 
「悪いが、今回は本気だ」
 
「…なんだと」
 
 瞬きの合間、謙吾の表情から笑みが消えた。研ぎ澄まされた日本刀を連想させる気配が矢面へと現れる。
 
「…っ……。テメェ…ッ」
 
 それに押されながらもなお目線を逸らさなかったのは、真人なりのプライドだったのだろう。
 歯をキツく噛み締めながら真人は鋭い眼光を謙吾へと向ける。
 
 
 
 
 
「ふっ……」
 
 不意に導火線から火が消えた。先に身を引いたのは謙吾であった。
 
 剣呑な雰囲気が消失したことを悟ると。理樹は、ほっ…。と一息つく。
 
「……謙吾。正直今のは洒落になってないよ…」
 
 息の詰まるような空間から開放された理樹は、まるで溜め込んだものを吐き出すかのようにそう漏らした。
 
「おっと…。それはすまなかったな理樹」
 
「…いいけどさ。どうしてあんなに殺気立ってたの」
 
「それはだな……」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『お前が欲しいからだ』
 
「…ッ!??」
 
 ロマンティック大統領は今日も止まらない。
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