前編
さて…唐突ではあるが、諸君はコーヒーという嗜好品をどのように楽しむだろうか?
ブラック?
ミルクのみ追加?
砂糖とミルクを両方共?
――大いに結構だ。
嗜好品。
それをどのように楽しむかなど、つまるところ個人の自由である。
好きに楽しみ。
好きに味わい。
好きに飲み下せばいい。
人にはそれぞれ趣味趣向が存在し、また味覚も個人ごとに違う。
故にコーヒーひとつといえど、そこに楽しみ方が人の数だけ存在するのもまた道理。
――それは理解している。
だが、何事にも限度というものがある。
分かっていても受け入れられないモノ。
分かろうと努力した所で、到底受け入れ難いモノというのは存在する。
棗 恭介にとって、目の前の人物のとった選択肢は己の理解の範疇を遥かに超えたものだった。
――具体的に言えば斜め上高度28000mのお空くらいまで届く勢いでぶっ飛んでいたそうな。
ミルクを入れる。
――これはいい。
さらにミルクを入れる。
――まぁそれもアリさ。
さらにさらにミルクを入れる。
――ちょっと入れすぎじゃないか?
さらにミルク、さらにミルク、さらにさらにミルク、さらにさらにさらにさらにミルク。
ミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルク…………。
【ザ・オーバー・ミルク!!】
…………オイッ。
テンポよくプチプチと封を切り次々と怒濤の勢いでミルクを投下。
コーヒーカップの横に鎮座する空のミルク容器の山が異様な存在感を醸し出し、それを目撃した店のウェイトレスは自慢の営業スマイルをヒクヒクと歪めながらそそくさとその場を過ぎ去る光景に、恭介は自己の正気度がガリガリと削られてゆく錯覚を感じた。
それにしても、あきらかにコーヒーカップに収まりきらない量のミルクを入れているにも関わらず、一滴足りともカップの外に零れたりしないのは、質量保存の法則を軽く超越してるんじゃないかと。
恭介は、ほんわかしながら常軌を逸した光景を作り出す相手に妙な恐怖感を覚え、顔をヒクつかせながらそう思った。
「………ソレ、うまいか?」
「うん、ここのコーヒーとってもおいしいよね〜」
「………」
軽い頭痛が脳髄を駆け巡る。
恭介はペチンと叩くように額を手で覆った。
反対側の席には、今や完全に別のナニカに成り果てたコーヒーをずずりと啜りながら「えへへ〜」とご満悦なお方がひとり。
恭介は叫びたかった。
腹の底から叫びをあげたかった。
店と他の客の迷惑を度外視して絶叫し変質者と勘違いされ店の人に通報されて駆け付けたお巡りさんに説教される未来が待っているとしても。
――叫びたかった。
『ソレはコーヒーじゃねええぇぇぇーーーッ!!!』
…と。
だって常識的に考えてほしい。
【コーヒーが白いんだぜ】
しかも砂糖もたっぷり投入の徹底ぶり。
道行く人に「白くてあま〜い飲み物はな〜んだ」と尋ねてもコーヒーなどと答えるヤツは絶対いねぇ。
――黒いのが白くなった…か。
とりあえず、目の前の謎コーヒーに関しては、仮にマイ○ルコーヒーとでも名付けておこうか…。
「小毬、マイ○ルは美味いか…?」
「ふぇ…。マイ○ル?」
どうやらいまひとつ意味が伝わらなかったらしい。
恭介は「なんでもないさ…」と、どこか達観した風に呟くと自分用のコーヒー(ちゃんと黒いやつ)を一口啜った。
《同日、同時刻、同店内にて》
「理樹、突入だッ!!」
「だからダメだってば鈴…っ」
同じ喫茶店。恭介達から少し離れた位置にある席にふたりの男女がいた。
その少年少女は遠目から見れば初々しいカップルに見えなくもない。
だがしかし、実際にはそんなことはまったくなかったりする。
少女は【とある席の男女】を眺めながらくやしそうにに手に持ったスプーンを囓る。
うっすらと涙すら浮かべながらガジガジと。
そして少年はそんな少女の様子に、気疲れ混じりのため息をひとつ吐くと、腰掛けた椅子の背もたれにどっかりと身を預けた。
普段から苦労性の少年でこそあるが、今日ばかりはこの短時間の間に酷く疲れ果てていた。
そして少年――理樹は思った。
――なんでこうなったんだろう。
…と。
《1時間前のお話》
いつもと変わらない休日。
けれどその日はぽかぽかとした陽光が降り注ぐ絶好の昼寝日和であった。
校内の様々な場所で思い思いの休息を過ごす生徒達のご多分に漏れず、棗 鈴は木陰の下で猫たちに囲まれながら、緩やかな時を過ごしていた。
――みゃ〜みゃ〜。
大好きな鈴に構ってもらいたそうに猫たちは鳴き声をあげるが、寝っ転がった芝生の温かな感触には抗いがたいものがあった。
鈴は次第にうとうととし始め、意識はぼんやりと虚ろう。
そしていつしか鈴の口からは、すうすうと規則正しい寝息が零れ出していた。
――ドスンっ!?
腹部に衝撃が落ちる。
鈴は突如眠気から覚まされ、顔をしかめながら薄く目を見開くと自身の腹部を見定めた。
そこにいたのは…。
――にゃ〜…。
彼女の愛猫の内の一匹、ヒョードルだった。
どうやらひょいと跳んだ拍子に着地したのが鈴の腹だったようだ。
鈴は一瞬叱ろうかとも思ったが、こちらの気も知らずに呑気に顔を洗う姿にすっかり毒気を抜かれてしまう。
――まったく、仕方ないやつだな。
ほんの少しの間だけやんわりと微笑みかけると、鈴は再び瞼を閉じた。
そうしてしばらく時間が経つ。
ふと…なにかが聞こえた気がした。
なんだろうと意識を外へ向けると、少し離れた所から男女の話し声が聞こえてきた。
「なあ小毬。この後時間あるか?」
「ふえ? 時間?」
「ああ、少し聞いておきたいことがあるんだよ」
「え、うん…だいじょうぶだけど…」
「よし、じゃあ行こうぜ」
そうしてふたり組は立ち去る。
その場に残された鈴は寝ぼけた頭で思考を巡らせ始めた。
――こまりちゃんがどこかへ行った。
――男と一緒。
――そう言えば男の方の声は馬鹿兄貴じゃなかったか?
――きょーすけとこまりちゃんが一緒。
――きょーすけは馬鹿だ。
――こまりちゃんはやさしい。
――きょーすけ、アホだ。
――こまりちゃん、そそっかしい。
鈴はあくまで真面目に考察しているつもりなのだが、思考はおかしな方向へまっしぐら。
鈴は眉間に少しづつ皺を寄せながら考えを続けた。
なにやら嫌な予感を察知したからだ。
――きょーすけ、きしょい。
――こまりちゃん、危なっかしい。
そこまで考えが至ると鈴は眉をぴくりと動かした。
あと少しで答えに辿り着きそうな気がするのだ。
…そう、とんでもない答えに…。
――きょーすけ=ド変態。
――こまりちゃん=騙されやすい。
きょーすけ+小毬ちゃん=
【やっちゃった♪】
「………っ!!」
鈴は一瞬で胴体を起こすとカッと目を見開き総身をわななかせる。
もしや自分はとんでもない事情に気付いてしまったのではないか?
見ればお腹に乗っていたヒョードルがコロコロと転がって行くがそんなことは気にもならなかった。
今、鈴の脳裏には所々服が破けて怯える小毬と、カメラ片手に涎垂らしながら怪しげな笑いをあげる恭介の姿があった。
――こ、こまりちゃんが危ない!?
鈴は大切な親友の危機を察し、握り締めた拳を小刻みに震わせる。
幸いにもふたりがここから移動したのはついさっきのことだ。
今なら、今ならまだ間に合うかもしれない。
鈴は寝ぼけ頭で考えついたボケボケな推理を信じ込み、いざ行かんと立ち上がる。
(待ってろこまりちゃん…。今あたしが助けに行く!)
――少女は勘違いを胸に旅立ってゆく。
ブラック?
ミルクのみ追加?
砂糖とミルクを両方共?
――大いに結構だ。
嗜好品。
それをどのように楽しむかなど、つまるところ個人の自由である。
好きに楽しみ。
好きに味わい。
好きに飲み下せばいい。
人にはそれぞれ趣味趣向が存在し、また味覚も個人ごとに違う。
故にコーヒーひとつといえど、そこに楽しみ方が人の数だけ存在するのもまた道理。
――それは理解している。
だが、何事にも限度というものがある。
分かっていても受け入れられないモノ。
分かろうと努力した所で、到底受け入れ難いモノというのは存在する。
棗 恭介にとって、目の前の人物のとった選択肢は己の理解の範疇を遥かに超えたものだった。
――具体的に言えば斜め上高度28000mのお空くらいまで届く勢いでぶっ飛んでいたそうな。
ミルクを入れる。
――これはいい。
さらにミルクを入れる。
――まぁそれもアリさ。
さらにさらにミルクを入れる。
――ちょっと入れすぎじゃないか?
さらにミルク、さらにミルク、さらにさらにミルク、さらにさらにさらにさらにミルク。
ミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルクミルク…………。
【ザ・オーバー・ミルク!!】
…………オイッ。
テンポよくプチプチと封を切り次々と怒濤の勢いでミルクを投下。
コーヒーカップの横に鎮座する空のミルク容器の山が異様な存在感を醸し出し、それを目撃した店のウェイトレスは自慢の営業スマイルをヒクヒクと歪めながらそそくさとその場を過ぎ去る光景に、恭介は自己の正気度がガリガリと削られてゆく錯覚を感じた。
それにしても、あきらかにコーヒーカップに収まりきらない量のミルクを入れているにも関わらず、一滴足りともカップの外に零れたりしないのは、質量保存の法則を軽く超越してるんじゃないかと。
恭介は、ほんわかしながら常軌を逸した光景を作り出す相手に妙な恐怖感を覚え、顔をヒクつかせながらそう思った。
「………ソレ、うまいか?」
「うん、ここのコーヒーとってもおいしいよね〜」
「………」
軽い頭痛が脳髄を駆け巡る。
恭介はペチンと叩くように額を手で覆った。
反対側の席には、今や完全に別のナニカに成り果てたコーヒーをずずりと啜りながら「えへへ〜」とご満悦なお方がひとり。
恭介は叫びたかった。
腹の底から叫びをあげたかった。
店と他の客の迷惑を度外視して絶叫し変質者と勘違いされ店の人に通報されて駆け付けたお巡りさんに説教される未来が待っているとしても。
――叫びたかった。
『ソレはコーヒーじゃねええぇぇぇーーーッ!!!』
…と。
だって常識的に考えてほしい。
【コーヒーが白いんだぜ】
しかも砂糖もたっぷり投入の徹底ぶり。
道行く人に「白くてあま〜い飲み物はな〜んだ」と尋ねてもコーヒーなどと答えるヤツは絶対いねぇ。
――黒いのが白くなった…か。
とりあえず、目の前の謎コーヒーに関しては、仮にマイ○ルコーヒーとでも名付けておこうか…。
「小毬、マイ○ルは美味いか…?」
「ふぇ…。マイ○ル?」
どうやらいまひとつ意味が伝わらなかったらしい。
恭介は「なんでもないさ…」と、どこか達観した風に呟くと自分用のコーヒー(ちゃんと黒いやつ)を一口啜った。
《同日、同時刻、同店内にて》
「理樹、突入だッ!!」
「だからダメだってば鈴…っ」
同じ喫茶店。恭介達から少し離れた位置にある席にふたりの男女がいた。
その少年少女は遠目から見れば初々しいカップルに見えなくもない。
だがしかし、実際にはそんなことはまったくなかったりする。
少女は【とある席の男女】を眺めながらくやしそうにに手に持ったスプーンを囓る。
うっすらと涙すら浮かべながらガジガジと。
そして少年はそんな少女の様子に、気疲れ混じりのため息をひとつ吐くと、腰掛けた椅子の背もたれにどっかりと身を預けた。
普段から苦労性の少年でこそあるが、今日ばかりはこの短時間の間に酷く疲れ果てていた。
そして少年――理樹は思った。
――なんでこうなったんだろう。
…と。
《1時間前のお話》
いつもと変わらない休日。
けれどその日はぽかぽかとした陽光が降り注ぐ絶好の昼寝日和であった。
校内の様々な場所で思い思いの休息を過ごす生徒達のご多分に漏れず、棗 鈴は木陰の下で猫たちに囲まれながら、緩やかな時を過ごしていた。
――みゃ〜みゃ〜。
大好きな鈴に構ってもらいたそうに猫たちは鳴き声をあげるが、寝っ転がった芝生の温かな感触には抗いがたいものがあった。
鈴は次第にうとうととし始め、意識はぼんやりと虚ろう。
そしていつしか鈴の口からは、すうすうと規則正しい寝息が零れ出していた。
――ドスンっ!?
腹部に衝撃が落ちる。
鈴は突如眠気から覚まされ、顔をしかめながら薄く目を見開くと自身の腹部を見定めた。
そこにいたのは…。
――にゃ〜…。
彼女の愛猫の内の一匹、ヒョードルだった。
どうやらひょいと跳んだ拍子に着地したのが鈴の腹だったようだ。
鈴は一瞬叱ろうかとも思ったが、こちらの気も知らずに呑気に顔を洗う姿にすっかり毒気を抜かれてしまう。
――まったく、仕方ないやつだな。
ほんの少しの間だけやんわりと微笑みかけると、鈴は再び瞼を閉じた。
そうしてしばらく時間が経つ。
ふと…なにかが聞こえた気がした。
なんだろうと意識を外へ向けると、少し離れた所から男女の話し声が聞こえてきた。
「なあ小毬。この後時間あるか?」
「ふえ? 時間?」
「ああ、少し聞いておきたいことがあるんだよ」
「え、うん…だいじょうぶだけど…」
「よし、じゃあ行こうぜ」
そうしてふたり組は立ち去る。
その場に残された鈴は寝ぼけた頭で思考を巡らせ始めた。
――こまりちゃんがどこかへ行った。
――男と一緒。
――そう言えば男の方の声は馬鹿兄貴じゃなかったか?
――きょーすけとこまりちゃんが一緒。
――きょーすけは馬鹿だ。
――こまりちゃんはやさしい。
――きょーすけ、アホだ。
――こまりちゃん、そそっかしい。
鈴はあくまで真面目に考察しているつもりなのだが、思考はおかしな方向へまっしぐら。
鈴は眉間に少しづつ皺を寄せながら考えを続けた。
なにやら嫌な予感を察知したからだ。
――きょーすけ、きしょい。
――こまりちゃん、危なっかしい。
そこまで考えが至ると鈴は眉をぴくりと動かした。
あと少しで答えに辿り着きそうな気がするのだ。
…そう、とんでもない答えに…。
――きょーすけ=ド変態。
――こまりちゃん=騙されやすい。
きょーすけ+小毬ちゃん=
【やっちゃった♪】
「………っ!!」
鈴は一瞬で胴体を起こすとカッと目を見開き総身をわななかせる。
もしや自分はとんでもない事情に気付いてしまったのではないか?
見ればお腹に乗っていたヒョードルがコロコロと転がって行くがそんなことは気にもならなかった。
今、鈴の脳裏には所々服が破けて怯える小毬と、カメラ片手に涎垂らしながら怪しげな笑いをあげる恭介の姿があった。
――こ、こまりちゃんが危ない!?
鈴は大切な親友の危機を察し、握り締めた拳を小刻みに震わせる。
幸いにもふたりがここから移動したのはついさっきのことだ。
今なら、今ならまだ間に合うかもしれない。
鈴は寝ぼけ頭で考えついたボケボケな推理を信じ込み、いざ行かんと立ち上がる。
(待ってろこまりちゃん…。今あたしが助けに行く!)
――少女は勘違いを胸に旅立ってゆく。
09/12/11 11:30更新 / たいら