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ビューティフル・ドリーマー(沙耶アナザーストーリー) 7話(リトルバスターズ)
作者:m

紹介メッセージ:
 ※沙耶を知らない方でも楽しめる構成とするため、沙耶の設定を拝借したオリジナルストーリーなっております。


8月15日
「夢の日々」(前編)




――朝食の席。



「グヮツグヮツグヮツーーーッ!! もぐもぐもぐもぐもぐっ…」



 あたしはご飯粒が飛ぶのも気にせずに空きっ腹に一気にご飯を掻き込んでいた。

 体が昨日よりも軽い。

 もしかしたら、自分の正体が少しでもわかったせいかもしれない。

「あ~っ、今日もご飯がおいしいわ~っ!」

「テーブルにご飯粒こぼしてるから」

 隣に座る理樹くんは「もう…」とぼやきながらも、あたしがこぼしたご飯を拾っている。



「……なぁ、恭介よぉ」

「……なんだ真人」

「……幽霊っつーのはメシをこんな勢いで食うもんなのか……?」

「……食ってんだろ、実際」



「理樹くん、おかわりちょうだいっ」

「たくさん炊いてるからそんなに急がなくてもなくならないよ」

 差し出したお茶碗を理樹くんが笑顔で受け取ると、新妻のごとき手つきでたっぷりとご飯を盛り付けた。



「……なぁ、恭介よぉ」

「……なんだ真人」

「……幽霊っつーのはおかわりを催促するもんなのか……?」

「……してんだろ、実際」



「グヮツグヮツグヮツーーーッ!!」

「そんなにいっぱい口に入れるとむせるぞ」

「もぐもぐもぐ…こくんっ。ふー。平気よ、鈴ちゃん」

「グヮツグヮツグヮッ……へっ」

 あ…飛んだご飯粒が鼻にきた……。

「わ、沙耶さんっ!? く、口押さえてねっ!?」

 ヤバ…。

 と思ったのも束の間。



「ヘッックシッッーーーンッ!!」



「………………」

 あたしの口からものすごい勢いで発射されたご飯粒マシンガンは、正面に座っていた真人くんの顔面に直撃していた。(横ですまし顔で食べていた謙吾くんは流水的な動きでかわしていた)

「なぁ、恭介よぉ」

 ご飯粒まみれの真人くんがあんぐりと口を開きながら呟いた。

「……なんだ真人」

「……幽霊っつーのは、人にメシ粒をひっかけるもんなのか……?」

「……おまえメシ粒まみれだからな、実際」

「……」

「ふぅ、理樹くんおかわり~」

「お腹壊すよ?」

「平気、へーき、あたし幽霊らしいし」

 ……あ。

 ご飯粒まみれの真人くんがわなわなと震えだした。

「沙耶、てめぇーっ!!」

「なによ?」

「なによ?じゃねぇだろっ!! オレのこの有様を見ろっ! なんとも思わねぇのかよっ!?」

「半端に面白いわ」

 これで終わりだよ、と言う理樹くんからご飯を受け取って紅鮭と一緒に口に運ぶ。

「フゥ…ようやくお腹も膨れてきた」

「ちょっとは気にしろよっ!! なめてっと今すぐ昇天させっぞっ!!」

「ブハッ!? 昇天!? 朝っぱらからエロい発言しないでくれない!?」

「なにぃ、エロい発言だったのかっ!? 今すぐさやにあやまれっ!!」

「んがぁあぁあぁあぁーーーっ!? 変な意味じゃねぇよっ!!」

 ご飯粒まみれで顔面を真っ赤にして悶絶しながら頭の毛をむしり始めた!

「うわぁ、真人はげちゃうよっ! 沙耶さんも真人をからかっちゃダメだからーっ」

 ……駆け寄って甲斐甲斐しく真人くんの世話をする理樹くん。

 真人くんは「沙耶の野郎がよぉ…グスッ…筋肉をいじめんだよぉ」と理樹くんに女々しく泣きついている。

 13日から続く騒々しい食卓だ。



「いつもどーりだが、うっさくて静かに朝ごはんも食べられない」

「いいじゃないか、鈴」

 みそ汁を飲んでいた恭介くんが静かにお椀を置いた。

「――みんなで同じ釜の飯を食う」

「大切なことなんだぜ? こういうことの積み重ねで友情は深まっていく」

「そーいうもんなのか」

「ああ、そういうもんだ」

 その脇であたしが真人くんに「誰が野郎なのよっ!!」とキック。真人くんの悲鳴と共にテーブルが軽く跳ね上がり食器が音を立てた。

 恭介くんが一言。

「……たぶん」







 朝食の後片付けも終わり、みんなが居間で食後のくつろぎタイムに入った。

「今日のことなんだが」

 恭介くんが、理樹くんが入れてくれた麦茶を受け取りながら予定を口にした。

「沙耶さんのお願いを叶えるミッション開始だよね」

「ああ」

「成仏させる……か」

 難しそうな表情で腕組みをする謙吾くん。

「よくわからんが、沙耶が思い残したことを解決すればいいのだな?」

「それなんだが、昨日あれから調べていたら物置で古い文献を見つてな」

 なるほどねえ…。

 13日から泊めてもらっている平屋建ての日本屋敷は、明治くらいからは立っていそうな雰囲気だ。

 確かにここはそんな文献がひょっこりと顔を出してもおかしくはなさそうだ。

 それに、そんな古いものを見れるなんて好奇心が刺激されまくる。

「そこに沙耶と似た事例が記されていた」

「へぇ……あたしの他にもあるのね。それ見せて欲しいんだけどいいかしら?」

「了解だ。今持って来るから待っててくれ」

 少しして恭介くんが大量の本が入ったケースを持って戻ってきた。

「よいしょっと。こいつだ」

 テーブルの上にドサドサと本を重ねていく。

 最初は「見せろよっ」とか「よるな、きしょいっ」と期待ムードだったみんなは、それを見ているうちに『うわぁ…』といった表情へと変わった。



「…恭介…」

「どうした、理樹?」

「これ…全部マンガ本だよね…?」

「古い文献には変わりないだろ」

 なにやら鬼っぽい手をしたゲジマユの主人公や、ボディコンに身を包んだセクシー系ヒロインが描かれたマンガが並んでいた…。



「これは昔きょーすけが読んでたマンガだろっ、こんなもん役にたつかっ」

「古い文献とか恭介くんが言うからドキドキワクワクしちゃったじゃない!! どうするのよ、このドキドキワクワク!」

「鈴も沙耶も落ち着け。マンガだからといって馬鹿にしちゃいけない」

「マンガを描くときには、リアリティ追求やらその方面に詳しい読者のクレームを受けないように調査し、資料を集めて描く」

「つまり、資料を集めて描いたマンガは資料になるってことさ」

「そーなのか」

 鈴ちゃんはそんな言葉ですっかり納得してしまっていた。

 文句をつけたいところだけど……。

 恭介くんの話も一理ある気がするわね。



「――成仏については、昨日俺が話したことで大体あっているようだ」

「幽霊というのは思い残したことがあるからこそ現世に戻ってくる、とぬーべーは言っている」

 誰よ、それ…。

「その思い残しを解決してやること――つまり沙耶の願いを叶えることで心置きなく成仏が出来る、というワケだ」

 マンガをペラペラとめくりながら、該当ページをみんなで回し読みする。

「ふぅん」

 成仏してハッピーエンドというのが通例のようだ。

「成仏したらあたしはどうなるのよ?」

「まぁ……」

 困ったように恭介くんが頬を掻く。

「天に帰るんだろうな」

 それを聞いて、横にいた鈴ちゃんが飛び上がった。

「さやが帰っちゃうのかっ!?」

「そうなるだろうな」

「ふみゅ……」

 鈴ちゃんが寂しそうにあたしの服の袖を取って、顔をブンブンと振る。

「あたしはイヤだぞ」

「さやが帰っちゃうくらいなら、さやのお願いなんてかなえたくない」

 うなだれながらあたしに捨て猫のような目を向ける。

 あたしだって……。

 どんな願いかは思い出せないけど、帰ってしまうよりは叶えないでここにいたいと思う。



「…ちなみにな」

「沙耶は願いが叶おうが叶うまいが、明日を過ぎれば……恐らくこちらにいられない」

 …………。

 恭介くんの言葉に部屋が静かになった。



「ええええっ!? なななななんで、なんでなのよ恭介くんっ!?」

 思わず恭介くんに掴みかかってしまった。

「おまえは13日の盆入りにこちらにやって来た」

「死者を迎える盆という特別な期間だからこそ、限定的にこの世に戻って来れたんだ。違うか?」

「なら16日――死者を送る盆最後の日――つまり明日帰っちまうことになるだろうな」

「……」

 恭介くんの目を見つめるが、真っ直ぐな眼差ししか返ってこない。

 ……そうだ。

 あたしは本来ならここにいれるはずがない、イレギュラーな存在だ。

 ずっとみんなと一緒にいたかったけど、そういうわけには行かないんだと心の隅ではわかっていた。

「そう……かも」

 ゆっくりと恭介くんの襟から手が離れてゆく。

「だからな」

 恭介くんが言葉を切る。

「取ることが出来る方法は二つだ」



「願いを叶えて帰るか」

「それとも願いを叶えないで帰るかだ」



 フッと笑みを浮かべる恭介くん。

「なら考える必要があるか? ないだろ」

 周りを見回すと、みんなも一様に頷いていた。

「……そーだな」

 鈴ちゃんがあたしの服の袖を引いた。

「どーせなら、さやのお願いをかなえてあげたい。さやが楽しく帰ってくれたほうがうれしい」

「鈴ちゃん…」

「――よし」

「そうと決まれば、さっそく沙耶の願いが何かを知るためにも…沙耶が生きてた頃の家――『時任診療所』に行こう」

 襖(ふすま)に手を掛けた恭介くん。

「それに」

 子どものようなニカッとした笑顔で振り返った。

「家族に会いたいと思わない家族はいないだろ?」









「――お、そこじゃねぇか」

「着いちゃったわね…」



 セミの合唱が響く木々と緑が茂った田んぼに囲まれた道路を歩いてゆくと、目的地が見えてきた。

 程なくして、あたしたちは木造の小さな診療所の前に立った。

 見渡して思わず息を呑んでしまった。



 診療所の名前。表札は少しずれているところまで変わらない。

 手作り花壇の位置。手入れがされていて緑が生い茂っていた。

 周りの木々。かくれんぼでも出来てしまいそうだ。



 夢で見た光景、そのままだった。



「……ただの」

「沙耶さん?」

「ただの夢かと思ってた」

 輪郭を失いかけていた今朝の夢が明確さを取り戻してゆく。

 目を閉じると、いつか見たであろう光景がまぶたの裏に蘇る。



 今にも玄関からお父さんが頭を掻きながら出てきそうな気がした。

 木陰から小さな女の子が出てきそうな気がした。



「……そっか……」

「全部あたしの思い出だったのね」

 懐かしさが胸いっぱいに込み上げてきた。

 もう二度と戻れないはずだった場所。

 今、そこの前にあたしは佇んでいる。



――ポン。



 肩に恭介くんの手が乗せられていた。

「やめておくか?」

「……」

 あたしは無言で首を振った。

「オーケー、それなら――」

 トンと背中を押され、一歩脚を踏み出した。

「ただいまって言ってこい」



 生唾を飲み込みながら一歩一歩を踏みしめドアへと近づく。

 勝手は知っている。

 ドアを開けると、ドアにつけられたスズが鳴り……お父さんが出てくるのだ。

 ドアまであと3歩…。

 2歩…。

 1歩。



 妙にセミの声がうるさく感じる。

 上から注ぐ日差しさえわずらわしく感じる。



 そろり、そろりと久しぶりの我が家のドアに手を伸ばした。



 ここを開けるとお父さんが出てくる。

 あたしは…。

 どんな顔をして会えばいいの…?



「……」

 あとは引くだけだったのに、その手を引っ込めてしまった。

 思わずみんながいる方を振り返る。



「…………」



 後ろのみんなは一歩も動かずにあたしを見守っていた。

 その目は一様に『がんばれ』と言っている…。

「…うん」

 あたしは一つ頷き、勇気を振り絞ってドアに手を掛けた。

 深呼吸をして、そして――



 カラン、カラン。



 ドアを開け放った。

 来客を知らせるスズが鳴り響く。

 多少の間。

 あたしが動いていないだけで、まるで時間が止まってしまったかのように思える。



 『はーい』



 体が震えた。

 夢の中のままの声だ…。

 パタパタと聞きなれたスリッパの音がする。

 部屋のドアが開いた。



「いやぁ…あはは」

――頭を掻きながら困った笑顔。

「今日はお盆休業中で……」

――ずれ下がったメガネ。

 全てが夢のままだった。

「……お……」

「……お父さん……」

「お父さんっ!」

 あたしは何も考えずにお父さんの胸を目掛けて飛んでいた。



「お父さん、ただいまぁーっ!」



――ドシンッ!!

「どはっ!?」

「…へ?」

――バタァーーーンッ…………。



 あたしが胸に飛び込んだ結果。

「……」

「~~~~~……――」

 ……そのままお父さんはあたし共々倒れてしまったのだった……。



 後ろから「なんだなんだ!?」とバタバタとみんなが駆けつける音が聞こえてきた。

「沙耶さんどうし……うわぁ、だ、大丈夫?」

「待て、親子の感動の再開シーンがどうしてこうなっているんだ…?」

 感動の再開のはずが無様に引っくり返っているあたしを見て焦る理樹くんの声。謙吾くんの声からは彼の顔が引きつっているのがわかる。

「しまった、忘れていたな…」

「な、何を? 恭介?」

「沙耶は俺たちにしか見えないんだったな…」

「見えてないんだから、沙耶の親父さんは完全無防備の状態で、沙耶の全体重をかけたタックルを喰らったことになる」

 あたしの下敷きになっているお父さんを見ると。

「~~~~~……――」

 完全にのびていた!!

「え、うそっ!?」

「お父さん!? お父さんってば!? ねぇ!? 大丈夫!?」

「~~~~~……――」

 ガクガクと揺すっても起きる気配ゼロだ!

「うみゅ…ごめん、さや…かける言葉がわからない…」

「おめぇ、やっぱ馬鹿だろ」

 真人君にまでバカにされたぁーっ!

「って、ヘコんでる場合じゃないわねっ」

「真人くん、お父さんを奥の部屋に運んで! 居間だからその辺に寝せておいて」

「お、おうよ」

「あたしは気付け薬持ってくるから、みんなも居間に行ってて」

 ああもう~~~っ!

 なんでこうもやること為すこと、ぜーんぶ裏目にしかでないのよっ!







――玄関から待合室を抜け真っ直ぐに進んだドアの先にある、畳みが敷かれた居間。

 お父さんの緊急処置を終え、みんなで一息つきながら座布団に腰を下ろした。

 もちろんあたしもそこに座る。



「あはは……いやぁ、お恥かしいところをお見せしちゃったね」

 程なくして目を覚ましたお父さんは、今は困ったような笑顔を浮かべ「まいったまいった」と頭を掻いている。

「君たちが起こしてくれたのかい?」

「それなんですが…」

「俺たちは実は――」

 恭介くんの瞳があたしに向けられる。たぶん、あたしのことを言ってもいいのか伺っているんだ。

 あたしは小さく頷いた。

「沙耶……あやさんの友達です」

「あやの……友達?」

 笑顔が消え、クイとメガネを上げる。

「そうです」

「……」

 寂しげな表情がありありと浮かんだ。

 あたしはそんなお父さんから目をそらしてしまった。

「……あやは……」

「わかっています」

「なら…」

「荒唐無稽な話だと思われますが、どうか俺たちの話を聞いてください」



 恭介くんと理樹くんに鈴ちゃん、そして真人くんに謙吾くんが13日からの事のあらましを説明した。

 聞いているお父さんは終始難しい顔をしていた。



「つまり、あやが……今、ここにいると?」

「あ、はい。僕の隣に座っています」

「うぅむ…」

「お父さん…」

 お父さんがあたしの方を見るけど、その焦点はもっと遠くを見ていた。

 その顔からは半信半疑なのが窺(うかが)い知れる。

 せっかく会えたのに……お父さんにはあたしが見えないし、声すらも伝わらない。

「恭介、どうすればいいかな…?」

「ここに他の誰でもない『あや』という存在を示す、か」

「難しいな……」

 みんなが首を捻る。

 あたしは見えないだけであって物に触ったりは出来る。

 さっきみたいにお父さんに飛び込んだりしてもいいかもしれない。

 けど……それだと何かがいることはわかっても、『あたし』がいることをお父さんに伝えられない。

 コミュニケーションさえ取れれば…。

「…あ、そうだ」

「沙耶さん、なにか閃いたの?」

「声が伝わらないなら別の手段で伝えればいいだけのことよ」

 あたしは立ち上がって、テーブルの上に乗っていたチラシを手にした。

「あとは何かペン…ペン…あったあった」

 その二つを手にして戻る。

「なるほどな、その手があったか」

 あたしはチラシの裏にペンを走らせ始めた。

「お、父、さん…と」

 それを見ていたお父さんの表情が見る間に驚きのそれに変わっていく。

「ペンが勝手に……いや……こ、この字は……」

 日本語はお父さんにしっかりと仕込まれたのだ。

 あたしの筆跡はお父さんが一番良く知っている。

「……まさか本当に……?」



 『あやです』



 あたしの言葉を見た瞬間、お父さんの瞳孔が収縮した。

「……あ、あや?」

 声がかすれている。

「あや……そこに、そこにいるのかい……?」

 返事を書く代わりに、あたしはこう書き綴った。



 『ただいま』



「…………ああ」

 お父さんの目から……大粒の涙がこぼれ落ちた。



「……おかえり、あや」



「…っ」

 その言葉に息が詰まる。

「お父さん…っ」

「ただいま……っ」

 手を広げているお父さんの胸に飛び込んだ。

 今度はしっかりと、力強くあたしを抱きとめてくれた。

「あや…ここにいるのがわかるよ…」

「またあやをこうして抱きしめることが出来るなんて……」

「……思いもしなかった……」

「お父さん……」

 お父さんの腕は優しく、温かかった。

「またあやに会えるなんて……神様が与えてくれたチャンスなのかもしれない」

 かすれ声で呟いた。

「……あやにはね、ずっと、ずっと謝りたいと……思っていたんだ」

「謝る…?」

 聞こえないのをわかっていても、つい声に出して聞いてしまう。

「……お父さんのせいで、あやには大変な苦労をかけてしまったね……」

「これ以上苦労はかけさせないと誓ったのに……その矢先にあやは……あやは……っ」

「……あやに恨まれているんじゃないかと……いや、恨まれても仕方ないと思っている……」

「すまなかった…」

 お父さんの腕は震えていた。

「本当に……本当に……すまなかった…っ」

「全然そんなことないっ! あたしは…っ」

 きっと…。

 きっと、あたしがいなくなってからお父さんはずっと罪の意識に苛(さいな)まれていたんだ…。

 お父さんの腕から離れ、紙にペンを走らせる。



 『そりゃ苦労もたくさんあったけど、それも全部ひっくるめて楽しかった』

「あや…」

 さらにペンを動かし続けた。

 『お父さんにはとっても感謝しているんだから』

 『だから』

 『謝らないで』



「…………」

 お父さんは言葉を噛み締めるように紙を見つめていた。

「……ああ……わかったよ……」

 グスッと鼻をすする。

「いやぁ……」

 涙を流しながらいつもの困った笑みを浮かべるお父さん。

「あやは……いつだって優しいね」

「じゃあ、謝る代わりだ」

 いつものように頭を掻く。



「……こんなお父さんと一緒にいてくれて――」

「本当に、ありがとう」



 『あたしも、ありがとう』



 お父さんの笑顔は、晴れやかな笑顔へと変わっていた。