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ビューティフル・ドリーマー(沙耶アナザーストーリー) 8話(リトルバスターズ)
作者:m

紹介メッセージ:
 ※沙耶を知らない方でも楽しめる構成とするため、沙耶の設定を拝借したオリジナルストーリーなっております。



8月15日
「夢の日々」(後編)











「はい、お茶よ」

 丸テーブルを囲んでいるみんなにお茶を出し、最後にお父さんの前にお茶を置く。

「せっかく帰ってきて来てくれたのに、早々にこんなことしてくれなくてもいいんだよ」

「いいわよ、別に。それにお父さんの入れるお茶はマズいし」

「いやぁ、あはは。今あやに文句を言われている気がするよ」

「なんだ? おとーさんも声が聞こえるようになったのか?」

「え? 冗談のつもりだったんだけどね。文句言ってる? あはは……はぁ」

「ごめんね、鈴ちゃん。前からこうなのよ、ウチのお父さん」



 再会から10分ほど。

 あっと言う間にかつての父と娘に戻っていた。



「ただの家出娘が帰ってきただけみてぇだな」

「ああ、あっと言う間に馴染んだな」

 嬉しそうな、呆れたような顔で真人くんと謙吾くんがこっちを見ていた。

「どんなに離れても、会えばすぐに元通りになる」

「それが家族ってものさ」

 いいことを言ったとクールな笑みを浮かべる恭介くんに「そんなもんかねぇ」と真人くんが返す。

「沙耶さんもそろそろ座ろうよ」

「ええ、そうね」

 お盆を台所に戻し、お父さんの隣の席に腰を下ろした。

「そう言えばキミたちはさっきから『沙耶』って呼んでるけど、あやのことかい?」

「あ、はい。沙耶さ……あやさんがそう呼んでくれって言ってたので……」

 理樹くんは困ったよう肩をすくめ、両手で湯飲みを包みお茶を口に運んでいた。

「……だって、それがあたしの名前だと思ってたんだから仕方ないじゃない」

 お墓で初めて意識を取り戻したあの日、あたしは確かにそれが自分の名前だと思っていた。

 けど、なんでなんだろう?

 今朝の夢で見た気がするけど、まるで零れ落ちてしまったかのように良く思い出せない。

「なるほどねぇ」

 妙に納得しているお父さん。

「あやは何も覚えていないのかい?」

 別のチラシの上にペンを走らせる。

 『思い出せるけど少しだけ。だから色々と思い出したいの』

「……」

 一瞬の間。

「そうか……」

 コトリ、とお父さんが湯飲みをテーブルに下ろした。

「自分の部屋に行ってごらん」

「きっと色々と思い出せるよ。ただ……」

「ショッキングなことも思い出す。それでも大丈夫なら行ってみるといい」

 ショッキングなこと…。

 自分が幽霊だということなら、大体想像はつく。

 ここに来た時点でそのことは覚悟していた。

「ありがと、お父さん」

 あたしはみんなと一緒に二階の自分の部屋へと向かった。





「ここよ」

 懐かしい木のドアの前。

 そのドアを開けると、部屋の光景が目に飛び込んできた。



「…………あ」

 部屋を覗いた全員が息を呑んだ。



――そこには、あたしがいた。



 真新しい仏壇と黒い枠に囲まれた写真立て。

 その中であたしは笑っていた。



「遺影、か……」

 恭介くんが呟いた。

「あるとは思ったが、実際に目にするとな…」

 謙吾くんがそれから目を背ける。

「ああ、妙な気分だぜ…」

 今までの真人くんからは想像がつかないほど低いトーンだ。

「うみゅ…」

 鈴ちゃんはあたしの背の裾を掴んで離れようとしない。

「……沙耶さん、大丈夫?」

「……大丈夫よ」

「そもそもこんなの覚悟の上だったから」

 落ちた雰囲気を吹っ飛ばすように、理樹くんの背に回りこんだ。

「ほらほら、廊下に突っ立ってないで部屋にあがってあがって! 女の子の部屋に入れるなんてもう興奮ものでしょ、ほらほらっ」

「わ、わ、沙耶さん押さないでよ~っ」





「とりあえず」

 自分の仏壇の前に座っているんだけど…。

「こ、これって拝んだほうがいいのかしら…?」

「まぁ…礼儀といったら……礼儀だろ」

 冷や汗を流す恭介くん。

「自分を拝むってどういうことなのかわかんないけど……まぁ、いいわ」

 正直、めちゃくちゃ妙な気分だ。

「う…仏様になった気分よ」

「いや、実際沙耶さん、仏様になっちゃってるからね……」

「うぐ…そうだったわね…」

 とりあえずお線香に火をつけ、あたしの写真に手を合わせる。

「俺たちも慣習に習って拝むか」

 みんなが正座で仏壇に向かうが。

「…いいか? 疑問に思ったんだが」

 恭介くんの呼びかけに、線香に火をつけようとしていた謙吾くんの手がとまる。

「なんだ、恭介?」

「俺たちの横には沙耶がいるんだぞ。なら、わざわざ写真を拝む必要があるのか? ないだろ」

「だから写真じゃなくて、沙耶を拝もう」

「ほー、ほぅほぅ、言われてみりゃそうだぜ」

「……は?」

 呆気に取られている間に、恭介くんと真人くんがあたしの方に向き直った。

「…よし」

 パン、パンと手を鳴らして合掌を始めた。



「……」

「……」

「……」

「……」



「……恭介」

「…ん?」

「おまえ、何頼んだ?」

「え、俺? 就職。おまえは?」

「筋肉」



「あ……」

「あたしを拝むなぁぁぁーーーっ!!」



――ゲシンッ!! バギンッ!!



「「ぶはぁんっ!?」」

 二人の顔にあたしのフットスタンプがつく。

「しかも奇跡的に初詣と間違ってるしね……」

「こいつら馬鹿だっ」

 理樹くんの笑顔も心なしか引きつっているし、鈴ちゃんは彼らを見事一言で説明していた。



「――ん、仏壇の上に何かあるぞ」

 仏壇を覗き込んだ謙吾くんが声を上げた。

「あら、本当ね」

 仏壇の上にはところどころに泥汚れが目立つ本が一冊、大切に置かれていた。

「これって…」

 マンガ本だ。

 夢の中であたしはこれを読んだ。

 何度も、何度も、繰り返して読んでいた。

「……」

 恐る恐る、手に取ったマンガ本のページを開く。

 一度水にでも濡れたのかページは酷く波打っている。

「なんだなんだ?」

 みんなも周りから覗き込んできた。

「あ……」



 そのマンガではヒロインが楽しそうに友達と遊んでいた。

 友達と食卓を囲んで大騒ぎしたり、海で伸び伸びとはしゃいだりしているシーンが印象的だ。

 まるで…。

「なんか…僕たちみたいだね」

「うん…そうね」

 そう。

 あたしが……理樹くんや恭介くん、鈴ちゃん、謙吾くん、真人くんと遊んでいる様子そのものだった。

「このマンガの女の子の名前…」

 鈴ちゃんが驚いたのも無理もない。

 そのヒロインの名前こそが『朱鷺戸沙耶』だった。

 そうだ…。

 あたしはこのマンガ本に自分を重ねて…………。

 重ねて…………。

 気付くと、自然と涙が目にたまっていた。

「どうした、沙耶?」

 あたしの顔を覗き込んでいる恭介くん。

「…え? ううん、なんでもないわよ」

 見回すと、みんなも心配そうな顔をあたしに向けていた。



 ……何を思っていたのか。

 ずっとずっと心に描いていたことのはずだ。

 けど、なぜかそこから先は壁があるように思い出すことが出来なかった。



「やっぱり呼び方はあやさんにした方がいい?」

「沙耶でいいわよ。今はこっちのほうが慣れてるし」

「それよりっ」

 胸を巣食うモヤモヤした気持ちを打ち消すように、今朝見た夢の光景を思い出しながら部屋を見渡した。

「この部屋、なにもかもなつかし~っ」

「何も変わってないの?」

「仏壇以外はね」

「このベッドも……なつかしい~っ」

 ボッフ~ンッ!

 ジャンプをしながら、きっと毎日整えられていたんだと思うベッドに飛び込んだ。

「そんなスカート姿でべ、ベッドに飛び込んだら、うわわっっっ」

「なぁによ理樹くん、真っ赤になっちゃって――ん~、気持ちい~」

 ベッドにうつ伏せに寝転び、枕に頬ずりしながら足をバタつかせる。

「さや」

「なに?」

「パンツ見えちゃってるぞ」

「パン…………え!? う、うそっ!?」

 おしりに手を当てると、ものの見事にスカートがまくれ上がっていた!

「ひぃぃぃやぁぁぁぁっ!? みみみみみみ見たっ!? あああああああたしのパパパパパパン…み、見ちゃった!?」

「「「「見…………てません」」」」

 男性陣はバツが悪そうに正座であたしと反対方向を見ていた…。



 この部屋にいると昔のことを思い出せた。

 ただ、胸の奥の大事な部分だけは欠けている様で、けど一杯に満たされているような不思議な感覚だ。









――部屋であたしの思い出話やらおしゃべりをしていると、あっという間に夕方になってしまっていた。

 長居しては迷惑だと、みんなで帰り支度をし玄関へと出た。



「では、そろそろ俺たちはお暇(いとま)させてもらいます」

「いやぁ、まさかあやがお友達を連れて来てくれるなんて思ってもみなかったよ」

 頭をボリボリ掻いているお父さんはよほど嬉しかったのか、笑顔を絶やさない。

「沙耶はどうする?」

 恭介くんがあたしに突然話を振ってきた。

「どうするって、何が?」

「今日くらいは家にいたほうがいいんじゃないかと思ってな」

「あ、そっか……どうしよう」

「あや」

 お父さんに呼びかけられた。

「お父さんはいいから友達のところに行きなさい」

 いつもとは違う、優しく、それでいて強い口調。

「けど…」

「いいんですか…?」

 あたしの代わりに恭介くんがお父さんに訊ねた。

「ああ。お父さんは今日あやとまた会えて、できないと思っていた話ができて……それだけで十分だよ」

「あとは……」

 照れくさそうに頬を掻いている。

「あやの好きなことをしなさい」

「あやのこと、よろしく頼むよ」

 ペコリ、とお父さんが頭を下げた。

「……わかりました」

「帰る前に、もう一つだけお訊ねしていいですか?」

「なんだい?」



――恭介くんがあたしの願いを叶えてから送ってあげたい、という計画をお父さんに話した。



「あやの願い、ねえ…」

 不思議そうにメガネを直す。

「てっきりもう……いや、あやからは何も聞いてないのかい?」

「うん、そこだけモヤモヤして……ちょっと恭介くん、紙とペン持ってない?」

「紙とペンなんていきなり言われてもな」

「これを使え」

 謙吾くんが剣道着の懐からメモ帳とボールペンを出した。

「ありがと、借りるわね」

 それにサラサラと『そこだけ、はっきりしないの』と書き綴った。

「……」

 なぜかお父さんがこちらの様子を見て苦笑いをしていた。

「たぶんね……それは夢と同じようなものなのかもしれないね」

「夢?」

「夢というものは見ている間は夢と気付かない」

「同じように、すぐ手元にあるものはそれと気付かないんだと思う」

「それはお父さんが教えるようなことでもないよ」

 困ったように頭を掻く。

「――あやに返したいものがあるんだ」

「あたしに?」

 そう言い残すと二階のあたしの部屋へと上っていった。

 すぐに何かが入った紙袋を持って戻ってきた。

「ふぅ、さすがに二階の往復はこたえるね……これだよ」

「これを見れば、きっと思い出す」

 あたしがいる方向に差し出された紙袋を受け取った。

「…ありがとう、お父さん」



「あや」

 お父さんの優しい微笑み。

「思う存分、友達と遊んできなさい」

 あたしは紙にペンを走らせた。

 『いってきます――』と。









 夕日も傾き始めた頃、あたしの家から戻りみんなで畳の居間に集合していた。

 開け放った障子からひぐらしの鳴声を聞きながら、テーブルを囲み各々くつろぎスタイルだ。

「はい、みんな麦茶だよ」

「理樹っち、待ってたぜーっ」

「すまんな、理樹」

 今日の料理当番の理樹くんがピンクのエプロン姿でみんなに麦茶を配り、あたしの横にちょこんと腰を下ろした。

「沙耶さんのお父さんも個性的な人だったね」

「はぁ…昔からあんな感じでのらりくらりしてるのよ。心配ったらありゃしないわ」

 クイッと麦茶を喉に流し込む。

「あれでも、やるときはやるのよ?」

 とりあえずはフォローをしておく。



 けど……お父さんに会えて本当に良かった。

 お父さんもあたしに言えなかったことを話してくれたことで、背負ってしまった重荷を下ろしてくれたんじゃないかと…そう思う。

 そう考えるとつい、笑顔が零れてしまう。



「さやのお願いは、やっぱりおとーさんに会うことだったのか?」

 あたしの左隣に座っている鈴ちゃんが、子猫みたいにあたしの左手の指で遊びながら言った。

「どうなんだろ?」



 お父さんに会って嬉しかったのは確かだけど、もっと他に強く思っていた一つの願いがあったはずだ。

 強く思っていたはずなのに……。

 その思いが部屋にあったマンガ本を読んでから一層強まっている。



「んなの、沙耶の親父さんがくれたその紙袋を見りゃはっきりするんじゃねぇのか?」

「真人くんの言う通り…ね」

 テーブルの上に紙袋は置いていたんだけど、何が出るかが怖くて開けれないでいたのだ。

「じゃ、じゃあ……開けちゃうわよ?」

「なにが入ってるんだろうね?」

「……」

「……」

「……ほ、本当に開けちゃうわよ」

「じれってぇな、早く開けろよっ」

「うううううううっさいわねっ!」

 真人くんの野次に促されるように、緊張しながら紙袋に手を掛けた。



「これ……」



 中を開けると、小さな木の箱とブタの貯金箱が出てきた。

「それが沙耶の思い出の品…なのだな?」

 謙吾くんがズバリ言い当てた。

「そう、この貯金箱……」

 両手で持つと、ジャラリと小銭が詰まっている音が響いた。

 この貯金箱はあたしの宝物だった。

 あたしはこの貯金箱に地道にお金を貯めていたんだ。

 『そのとき』が来たら使おうと思っていたんだ。

 少しずつ、零れてしまったと思っていた大切な思いが形を作ってゆく。



「なら、こっちの小さい箱は……」

 掛けた手が微かに震えている。

 深く息を吸い込んで、その箱を開けた。

 箱の中身は、さらに薄く柔らかい紙で丁寧に守られていた。

「よっぽど大切な物のようだな」

 恭介くんの幾分緊張した声と一緒に、周りのみんなの息を呑む音が聞こえてくる。

 あたしはそっとその包みを箱から取り出し、震える手で包みを開いた。

 そこからは――。



「……画用紙、だね」

 折りたたまれた画用紙が、静かにその姿を現した。

 ……その表面は酷く汚れてしまっていた。

 元は白色だったのであろうが、今や見る影もない。

 半分は泥汚れで茶色く染まっていた。見ている間も乾いた泥がポロポロと削げ落ちる。

 もう半分は…。

「……っ」

「沙耶さん、大丈夫…?」

「え、ええ…大丈夫…大丈夫だから」



 呼吸が止まるほど胸がきつく締め付けられる。

 もう半分は……黒く染まっていた。

 時間が経ってしまったから黒色なんだ。

 夢の光景が、あたしの最期の光景が、脳裏をよぎる。



 これは全て――あたしの血だ。



 この画用紙はあたしが最期まで手にしていたもの。

 そして、最期まで思い描いていた夢。

 あの時…叶えられなかった夢。

 この画用紙に、全てが描かれている。



 その折りたたまれた画用紙に震える手を掛ける。

 乾いた音を立てながら、画用紙が少しずつ開いてゆく。



――夢に見た現実と、夢のような今。

 その二つが繋がろうとしていた。



 最後まで開き、そこに描かれていた言葉を見たとき。







 あたしの意識は――



「沙耶さんっ!?」

「さやっ、だいじょうぶかっ!?」

「しっかりし……――――――」



 途絶えた。