「理姫」 第1話 「見えない距離」(リトルバスターズ)作者:m
紹介メッセージ:
近くて遠い。 遠くて近い。 それが兄妹の、距離。 兄妹の絆を紡ぐストーリー
「……ん……」
しだいに意識が現実味を帯びてくる。
近くで誰かが覗き込んでいる感覚。
背中には何かが掛けられている感触。
たしかさっきまで授業をしていて……。
そっか…。
僕、また寝ちゃったんだ。
まどろんだ目をゆっくりと開く。
辺りは夕日に照らされ、赤く色づいていた。
顔の下には書きかけのノート。
その片隅には「おはよう」という落書き。
体を起こすと、肩にかけられていたカーディガンがハラリと落ちた。
目線の先には夕焼け色に映し出された一人の女の子。
「……おはよ、理姫」
「――おはよう、お兄ちゃん」
――僕に同い年の妹がいる。
その事実を知ったのはついこの前だ。
僕の両親はそこそこの資産家だった。
そのおかげで、僕はこの年まで金銭的には不自由を感じることなく生きることができた。
僕が18歳の誕生日を迎えた日。
父が事故に遭う前に予め残していた遺言状が開封された。
もし父に何かあった場合、僕の18歳の誕生日に開封するように後見人が言付かっていたそうだ。
遺言状の内容は案の定、財産分与に関することだった。
最初の項目にはもちろん今は亡き母の名前。
続けて僕の名前があった。
だが……もう一つ項目があったのだ。
非嫡出子――俗に言う隠し子だ。
遺産の相続人は全員、遺産分割協議というものに参加する必要があった。
参加者は僕とまだ見ぬ妹の二人。
不安だった僕は無理を言って恭介と謙吾、真人と鈴に一緒に来てもらった。
そして僕の妹……『直枝理姫(りひめ)』と対面したんだ。
僕たちが初めて顔を合わせたときは本当に驚いた。
妹の理姫を見て、恭介や謙吾、真人曰く「可愛すぎてオギオギを通り越してモギモギした」だそうだ。
彼女の洗練された足運びは雅やかとでも表現するのだろう。
歩くたびに揺れるロングヘアはまるでシルクのようだ。両サイドにリボンで結われている。
服装は清楚な白のワンピース。まるで彼女のために仕立てられたかのように似合っていた。
けど、僕たちが驚いたのはそのことではない。
――理姫は僕と瓜二つだった。
協議が終わった後、恭介たちの計らいで僕と理姫が二人きりで話せる場所がセッティング(ファミレスだったけど)されていた。
最初こそ手探りで会話をしていた僕たちだけど、話す内にどんどんその距離は縮まっていった。
彼女の母親もまた早くに亡くなったそうだ。
彼女の母親にもかなりの資産があり、理姫も彼女の後見人の協力を得て僕と同じように一人で頑張ってきたんだ。
理姫はというと、僕と違って自分に腹違いの兄がいることを彼女の母親から聞かされていたそうだ。
小さい頃から僕に会いたかったのに、兄がいるという事実以外は教えてもらえなかったらしい。
「ずっとずっと、お兄ちゃんに会うのが夢だったんだ」
そう言って微笑む理姫の顔は、嬉しさに満ち満ちていた。
打ち解けるにしたがって、離れていた時間を取り戻すかのように話は弾んだ。
好きな食べ物の話。
二人ともハンバーグが好きなんていう共通点も見つけた。
友達の話。
僕が話すリトルバスターズの話に、理姫は驚いたり笑ったりとコロコロと表情を変える。
僕の持病の話もした。迷惑をかけるかも、と付け出して。
すると理姫は
「大丈夫、そのときは私が介抱するね。代わりに、私も体が弱いから具合が悪くなったらお兄ちゃんに介抱してほしいな」
と笑顔で受け入れてくれた。
それからすぐ、理姫が僕たちの学校に編入してきた。しかも僕と同じクラス。
せっかく兄妹同士が会えたんだから、なるべく近くにいたかったらしい。
――あれから2週間。
夕暮れの廊下を二人で歩く。
僕と理姫のつくる長い長い影が壁で重なる。
「寝顔、可愛かったよ」
「ずっと見てたのっ!?」
「ううん、ちょっとだけ。ふふっ」
クスクスと笑う。
そういえば、起きるときに覗き込まれていたような気が…。
「それにしても……はあぁ」
「どうしたの?」
妹にまで可愛いなんて言われるなんて、溜息もつきたくなるよ…。
「そうそう」
理姫が嬉しそうに胸の前でポンと手を合わせる。
「今日の夜はみんなで一緒にご飯だって」
携帯を開くとメールが一通。
『学食に7時集合。能美たちが新作レシピを作ったそうだ。夕食パーティー開催だ!』
「夕食って男の子と女の子の時間が分けられてるでしょ」
「だから、みんなで一緒なんて…楽しみ」
胸の前で指を組み、はにかむ理姫。
最近気付いたけど、それが理姫のクセのようだ。
「みんな料理上手だから期待してていいと思うよ」
「本当?」
理姫の顔がほころぶ。
「もうすぐ時間だし、早く行こうよ、お兄ちゃん」
「理姫」
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「お願いだから学校で『お兄ちゃん』って呼ぶのはやめてよ」
もしもクラスの誰かに聞かれたらと思うと……すごく恥かしい。
「けど、今は二人しかいないよ?」
「それでも」
「本当に理樹くんは恥かしがり屋さんだね」
「放っておいて」
「じゃあ」
僕の横顔に視線を投げかける。
「ん?」
「――手、つなぐ?」
「い…いやいやいやいや、な、何いきなり変なこと言い出すのさぁーっ!?」
「ふふふっ、冗談だよ」
僕から目を逸らしクスクスと笑い出す。
「理姫ーっ」
「お兄ちゃんの反応が面白いから、ふふふっ」
「だから学校じゃ名前ーっ」
「はいっ…クスクス」
「あ~もうっ!」
――時間通りに学食で夕食パーティーが始まった。
僕たちの前のテーブルには、みんなが作ってくれた料理、学食のメニュー、それにスーパーから買ってきたものが所狭しと並べられている。
「はーいはい、おまえら能美にちゅうもーく」
恭介の声で、みんなの視線がクドに集まる。
「頼んだぜ、能美」
マイクを手渡す。
「わふー…なにやら緊張するのです」
「おっほんっ――ほんほんっ…って、うわあぁあぁあぁーっ――あああぁーっ――ああぁーっ……」
ものすごいエコーがかかっていた!
「こっ、こんなの私にできっこありません~~~っ」
「能美さん大丈夫、落ち着いてやればきっと出来るよ、ね?」
クドの隣に座る理姫がエールを送る。
「理姫さんに言われると、なにやら出来そうな気がしてきましたっ」
さすが単純だっ!
クドは頷くと、マイクを構えなおす。
「ではこれよりっ『第10回・恭介さんを励まそう作戦~夕食パーティー編~』を開催いたしまっすっ!」
「みなさん、じゃんじゃんばりばり食べちゃってくださいっ」
「ヒィイーーーーヤァーーーッホォォォオオオゥゥゥゥーーーッ!!」
テンション最大で飛び上がる恭介。
クドの両脇から、嬉しそうな小毬さんと理姫の拍手だけがパチパチと響く。
他のみんなはと言うと……呆れ顔だ。
「なんだよおまえら、もっとテンション上げろよっ」
「……なあ、恭介。おまえに一つ言いたいことがある」
「なんだ真人?」
「……おまえのこと、そろそろ励まさなくていいんじゃないか?」
「俺も真人と同感だ」
謙吾さえも真人に同意して、うんうんと頷いている。
「無事に進級した僕たちより、断然元気だよね…」
「え、そんなに元気そうに見えるか?」
「少なくとも元気がない奴はヒャッホウと言いながら飛び上がらんだろうよ」
「姉御の言うとおりっ! ――……もう食べてもいいッスかね?」
恭介がフッと笑う。
「今の俺がヘコんでいないように見えるか?」
「……どこを見れば凹んでいるのか教えてもらいたいほどです」
「OK。いい質問だ、西園」
「これは見かけに騙されてはいけないという訓戒を含めての行動だ」
「正直言って、今の俺の心はボロ雑巾も焦るほどにボロボロだ」
「よって」
真剣な眼差しを僕たちに走らせる。
「これからも俺はおまえらに励ましてもらいたい」
「おまえ、ただパーティーしたいだけだろ」
…僕も鈴が言う通りだと思う。
――恭介はやっぱり留年した。
少し前の話になる。
就職先が見つからなかった恭介は、
「この底なしの不況真っ只中の日本で職なんか見つけられるかっ! 俺は渡米する!」
と僕らの反対を押し切って、単身アメリカに渡った。
今の不況はアメリカ発だということを完全に失念していたようだ。
たくさんのお土産と土産話と不合格通知を持って帰国した恭介を出迎えたのは、僕たちと出席不足の通知だった。
「卒業できないのに就職が決まってたら、危うく内定取り消しになっていたところだぜ…ヒュゥ」と言うヤケクソ気味の恭介の顔は今でも忘れられない。
今日は理姫が入ってからの初めてのリトルバスターズ全員での食事だけあって、騒々しさに拍車がかかっていた。
「理姫」
「なんですか、恭介さん?」
「悪いが、箸を忘れたから俺にあーんをしてくれると助かる」
「はい、私で良ければ」
微笑むと、律儀に手皿を添えて恭介にあーんをしようとする。
「悪いわぁーーーっ!!」
――ズゲシィッ!!
さっそく鈴の蹴りが恭介に炸裂。
「なんで鈴が俺を蹴るんだよっ!?」
「悪は滅ぼせと亡き兄が言っていた」
「うはぁぁぁっ、勝手に亡き者にしないでくれぇぇぇーーーっ!」
今のは恭介が悪いんじゃないかな…。
「理姫女史、あまり隙を見せると危ないぞ」
「そうかな?」
「ああ、キミはいささか無防備すぎる。例えば――」
来ヶ谷さんが理姫の肩を優しく抱き寄せる。
「そんなに隙が多いと、こんなことをされても文句は言えんぞ」
…絶対来ヶ谷さんがやりたかっただけだ。
「ううん、来ヶ谷さんなら大丈夫」
抱き寄せられるままに、理姫が来ヶ谷さんの肩に頭をコテッと乗せた。
「いや待てっ、そ、そう来られるとだな…」
「?」
「……来ヶ谷さん、ティッシュです」
「す…すまない、西園女史」
どうやら来ヶ谷さんは周りのみんなと違う理姫の反応に困っているようだ。
「理姫さん、私が作った佃煮をどーぞどーぞなのです」
「これ、能美さんが作ったの?」
「はい」
「はむっ……」。
「うんっ、とっても美味しいよ。箸がいくらでも進んじゃう」
「わふーっ、理姫さんにほめられてしまったのですーっ」
「じゃあ理姫ちゃん、こっちの私が作ったオムレツも食べてみて~」
「うわぁ~…すごいふわふわ。小毬さん、料理上手だね」
「えへへ、お菓子作りに似てるのは得意なんだよ~」
「あ、あたしももらっていいか?」
「鈴さんのところからだと届かないよね。はい、どうぞ鈴さん」
「……うみゅ……ありがとう……その…理姫」
「どういたしまして」
「理樹くんは? オムレツとハンバーグでいいかな?」
「うん」
「オムレツと…ハンバーグ、と」
僕の皿と、自分の皿にもハンバーグを盛り付ける。
「はい、どうぞ」
ニッコリと微笑んで料理が盛られた皿を差し出す理姫。
「ありがと」
「理樹くん、理樹くん」
横から葉留佳さんがつついてきた。
ニヤニヤしている。
「まるで理姫ちゃんがお姉さんみたいに見えますナ」
「性格から言わせてもらえば、どちらかというと理姫女史のほうがキミのお姉さんだな」
「う……」
そこは否定できない…。
「やっぱり僕はもっとお兄ちゃんらしく何か努力したほうがいいのかな…?」
「んなもん、どっちがどっちだって変わりねぇだろ。グワァツグワッツガツッ、かぁーーーっうめぇーーーっ!」
「ああ、真人の言う通りだ」
「理樹は理樹、理姫は理姫だ。突然兄妹になったからといって無理に今の自分を変える必要はない」
そっか…。
二人とも僕と付き合いが長いせいか、僕の不安をわかってくれている。
「んだよ、謙吾っち。話を合わせたからってオレのカツはやらねぇぞ」
「誰がそんなアホなことを考えるか」
「そういや謙吾、確か鶏を飼い始めてから、鶏が食えなくなったんだよな。代わりに唐揚げ食ってやるな。ニワちゃんは元気か?」
謙吾の皿に伸ばそうとした手をぱしっ!と手刀で払われる。
「くそぅ…引っかからねぇか…」
「そんな手に引っかかるほうが稀だと思うよ」
「OK、ターゲット変更だ」
「理姫。理姫は、ひき肉を飼い始めてから、ハンバーグが食えなくなったんだよな。代わりに食ってやるな。ドンキーコングは元気か?」
「…え?」
理姫が真人の言ったことに首をかしげているうちに、真人の箸が理姫のハンバーグの2分の1を奪い去っていた。
「あ……」
僕が止める暇もなく、ハンバーグが真人の口の中に。
「あ…私のハンバーグ……」
途端に理姫の瞳に悲しげな色が差し込む。
「こらーーーっ、おまえは何をしてるんだっ!」
「え、何って理姫からハンバーグをもらっ――」
――ガゴンッ!
鈴が投げたスプーンが真人の額を捉えた!
「グハンッ!?」
「理姫がかわいそうだろっ! 今すぐ吐きだせっ!」
「り、鈴さんそれはちょっと」
さすがの理姫も焦っている。
「うわわわ、鈴っ! やめてあげてよ、理姫には僕の分を半分あげるからさ」
「なにぃ?」
「けど…いいの、理樹くん?」
「もちろんだよ」
僕の皿からハンバーグを移す。
「……」
気恥ずかしそうに頬を染めて肩をすぼめる理姫。
「ありがとね、理樹くん」
「……うん」
ついつい照れくさくてそっぽを向いちゃった…。
「えーなんか理樹くんばっかりズルイっ! 理姫ちゃん、私のマフィンも贈呈進呈ーっ」
「え」
「では、おねーさんのファイアーキムチもあげよう」
「あの」
「……では、わたしが作ったカルボナーラも差し上げます」
「…ん。あたしのカップゼリーも一個やる」
「うまい棒もプレゼントだよ~」
「私は酢昆布なのですーっ」
ハンバーグとは別に置かれた皿が、みんなからもらったもので一杯になる。
「こんなにもらえるなんて、みんな、ありがとう」
ポンと胸の前で手を合わせて目を細める理姫。
食べれそうにもない量をもらっても、本当に嬉しそうだ。
「――そしてこれが全てを合わせた物だ」
「ぶふぅーーっ!!」
「こんなん食えっかぁぁぁーーーっ!!」
やっぱり真人が食べさせられていた…。
「ふぅ」
食事もほとんど終わり、みんなの談笑タイムとなっていた。
理姫の方を見ると、少し離れた場所でみんなに囲まれて楽しそうにおしゃべりをしている。
「――どうした、理樹?」
恭介が僕の横に腰を掛ける。
「うん、もうすっかりリトルバスターズの一員だな、と思って」
理姫に目を向ける。
「ああ、そうだな」
恭介はお兄さんのような目でみんなを見つめる。
……僕も今、こんな目をしてるのかな……。
「――話はしてるか?」
何を、と聞こうと思ったけど、理姫と会話をしてるか、という意味だろう。
「してるよ」
「そっか」
「ならいい」
「……」
「上手くやっていけてるか?」
「……」
「……よくわからない」
突然現れた妹に、どう接していいのかが……まだよくわからない。
恭介の目が鈴へと動く。
「兄妹には、ちょうどいい距離がある」
「二人が一番自然体でいられる距離だ」
「……」
「手探りでいい」
「それを見つければいいさ」