前回<Shall we ダンス?リスト>次回
気分は朝のまどろみか、夜の寝入りか。
まるで周りに溶け込んでしまいそうな心地よさだ。
声が聞こえる。
聞き慣れた声だ。
僕は……。
たしか学校にいて……?
そこで学校が崩れて僕らは…………。
「うわぁッ!?」
僕は跳ね起きた。
「リキ? どうなさったのですか?」
「だって今、学校が崩れて……!」
「はあ?」
顔を上げると、僕の前に立っている二木さんが半ば呆れたような口調で眉をしかめていた。
「二木さんもみんなも巻き込まれて……」
「はぁ…まったく。夢でしょう、夢」
「夢…?」
僕は、夢を見ていたの…?
妙に現実味を帯びていた。
夢……。
夢…。
夢。
「ボケてやがんな、こりゃ」
「……直枝さんの盛大な寝ぼけなんて貴重です。では、記念に一枚ぱしゃりと」
「理樹君、いいこ、いいこ~だよ~」
横にいる真人や西園さん、小毬さんを唖然と見つめる。
「……」
頭の中が記憶の闇鍋のごとくゴチャゴチャだ。
周りに目を向けた。
「あれれ?」
家庭科部の部室にいた。
いつもはクドや僕たちがお茶に使うくらいの場所だ。
そこにリトルバスターズのメンバーと二木さんが入っていた。
みんな僕のことを苦笑で見つめている。
「どうして僕、ここにいるんだっけ…?」
「そりゃおめぇ」
真人が僕の頭にボンと大きな手を置いた。その感触がここを現実だと教えてくれる。
「二木に呼ばれたからだろうが」
「あ……そうだっけ」
徐々に意識が覚醒してきた。
あ。
そういえば僕たちは、なぜか二木さんに呼び出されてこの家庭科部の部室に集まったんだっけ。
そうだ。僕たちは二木さんに呼ばれたんだ。
何の用事なんだろう。
「話を続けたいんだけど?」
「ごめんごめん」
畳に座っている僕らの前で、仁王立ちをして威圧的に僕らを見下ろしている(ように見える)二木さんが、手に持っている報告書らしきものを指でパンパンと叩いた。
「風紀委員によせられた報告だけど、数日前から夜の校舎で『奇妙な現象』が続発、だそうよ」
書類をパラパラとめくる。
「ありきたりのものから見逃せないものまであるわ」
「『音楽室らへんからピアノの音が聞こえた』……ありきたり」
「『ノートを取りに行こうとしたら何か(たぶんテケテケ系)に追い掛け回されて逃げ帰った』……なによその系統は?」
「『学校がデカくなってた』……見間違いじゃない?」
「『恐怖! 夜に鳴り響く鐘! その時俺は…!?』……知らないわよ」
報告を読む二木さんなんだけど、読みながら書類にツッコミを入れている。器用だ。
「……ありきたりのものばかりですね」
「なんてことはない、よくある七不思議だろ」
「そうね」
西園さんと恭介の言葉を受け、二木さんが胸の前で腕を組んだ。
「この程度の報告なら昔から必ずあるもの。問題なのはここから」
「ここ数日突然降って湧いたように急増した報告」
「夜の校舎を女子生徒が宛ても無く歩き回っている」
……え?
この話…聞いた…気がする。
「『学校の前を通りかかったとき、学校の中を女子生徒が歩いているのが見えた。何かを探すかのようにうろうろしていた』だとか」
「『寂しそうに窓辺からグラウンドを見下ろしていた』だとか」
「『最上階まで行くとフッ…と消える』だとか」
「目撃報告は1件2件じゃないわ。計7件。何かあると思って間違いないでしょう」
「その、いい?」
「何?」
不機嫌そうな目で睨みつけられた。話の腰を折られるのが嫌いなようだ。
「この話を僕たちにするのって、初めて?」
「?」
怪訝そうに首を傾げた。
「あなたが何を言いたいのかはわからないけど、初めてに決まってるじゃない」
「なんだどーしたの理樹くん? まだ寝ぼけモード中かなァ? かなァ?」
僕の肩を揉む葉留佳さん。
初めてだったっけ?
僕の周りでは小毬さんが「お婿行けない~っ」とか大騒ぎ中だ。
その中で僕は激しい違和感に襲われていた。
……何かがおかしい。
混乱の中、謙吾が手を上げた。
「なに?」
「それは単に夜の校舎に忍び込んだ女生徒なのではないか?」
「ハァ…その程度で解決するならわざわざ『怪奇現象』なんて言わないから」
誰かが侵入したことはありえないはずだ。
この学校は機械警備をしているんだっけ?
そんなことを聞いたことがある。つい最近…。
「いい? ここの学校は少し前から――」
髪をふぁさ、と払う。
「夜間は全て機械警備を導入しているの」
「!?」
夢の光景と今が重なる。
僕はこの様子を知っている…?
この後、確か証拠を見せられて…。
二木さんが僕の横に立ち、揺れる髪がふわりと香る。
ちゃぶ台にビシリと書類が置かれた。
「報告があったその日、その時間の記録」
「警備会社の記録は全て『異常なし』」
「この意味…わかる?」
……!
やっぱりだ!
夢だったと納得させようとしていた記憶が蘇る。
目の前の光景は再現VTRさながらだ。
そして恭介が言うんだ。
「オーケー!」
「これより――」
「『怪奇現象の謎を解け!』ミッションを開始する!」
……どうやら僕は、また不思議な世界に足を踏み入れてしまったようだ。
「恭介ーっ」
家庭科部の部室を出た後、僕は恭介の背を追った。
恭介ならこのおかしな現象に気付いているかもしれない!
「理樹か」
「恭介、何かおかしいんだっ」
恭介の背に追いついて、息を整えた。
「えっと…なんて言えばいいのか…」
「僕は前に『この日』を体験してるんだ」
「そうか…」
恭介が息を漏らした。
「どうやら気付いているのは俺と理樹だけみたいだな」
よかった…。
恭介もこの不可思議な現象に気付いていたんだ…。
大きく胸を撫で下ろした。
恭介がいるほど頼もしい状況はない。
「僕と恭介だけって…他のみんなは覚えてないの?」
「ああ、どうやら記憶がリセットされているらしい」
「俺たちが覚えていることから推察すると、リセットは曖昧だ。あるいは断片的に覚えているかもしれないな」
「記憶のリセットって…」
僕は、いや、僕たちはこれに近い状況を体験したことがある。
「もしかして恭介、これって」
「結論から言う」
恭介がいつになく真剣な眼差しで僕を射抜いた。
「ここは現実世界じゃない」
「やっぱりそうなんだ…!」
一つ頷いてから恭介が語り始めた。
「ここに戻ってくる前…そうだな、前回とでも呼ぶか」
「前回も多少の違和感を感じていたが、今回のことで確信した」
「俺たちは『あの時』と似たような世界にいる。ただ似て非なる世界だな」
「『誰かが見ている夢』が形になったような、そんな世界だ」
「夢が形になった世界…?」
「理樹は朝、何を食べた?」
……唐突な質問だ。
「朝は…………あれれ?」
「昼は?」
「昼……?」
なんだったっけ…?
まるで壁にぶつかってしまった様に思い出せない。
「俺も思い出せない。記憶があるにも関わらず思い出せないのはどうしてだと思う?」
「食べてないから?」
「半分正解だ」
「この世界では、その時間が存在しなかった。だから俺たちは当然覚えていない」
「この世界は家庭科部の部室から始まり、恐らく学校崩壊までの時間までしか存在しない」
「俺たちはその区切られた世界に閉じ込められた――」
いや、違うか…と恭介が首を振った。
「引き止められたという表現の方が正しいだろうな」
「閉じ込めるためには穴が多すぎる。現に今もだ」
「周りを見てみろ」
辺りを見渡して納得した。
「まだ夕方なのに部活をしている人も下校している人もいないね」
「そうだ。必要ないからだろう」
「世界そのものを再現して俺たちを閉じ込めることが目的じゃないってことだ」
「恭介の言う通りなら……こんなことをする目的は一体……?」
「そこはまだわからん」
「ただ、誰が作り出した世界なのかは検討がつく」
脳裏に学校崩壊直前の記憶が過(よ)ぎる。
「あの女の子…」
「だろうな」
あの女の子は……こんな世界を作ってまで何がしたいのだろう?
「この世界は見ての通り穴だらけだ。ほころびにすぐ気付いちまうほどにな」
「おそらく俺たちみんながイレギュラーな行動をしたなら、すぐに崩壊するだろう」
「それなら――」
僕が言い出す前に、恭介がゆっくりと首を横に振った。
「世界を創っちまうほどの想いがあったんだ、そいつには」
言おうと思っていた言葉が出せなかった。
「そいつはそいつなりに懸命にこの世界を守っている」
「俺たちを引き止めるために、このほころびだらけの世界を健気に守っている」
「なぜ俺たちがこの世界に足を踏み入れたのか」
「なぜ俺たちを引き止めたのか」
「なぜ俺たちは戻ったのか」
「そこはわからない。けどな」
空を仰ぎ見る恭介。
僕も恭介に倣(なら)う。
心が吸い込まれそうになるほど純粋で綺麗な茜色の空が彼方まで広がっていた。
「この世界にはそいつの想いが込められている」
「この世界にはそいつの願いが散らばっている」
「それは俺たちにとっては、気付かないほど小さなことなのかもしれない」
「けど、そいつにとっては時間を繰り返させるほど大きな願いだ」
「そうだとしたらさ…」
僕も空を見上げながら胸にこみ上げる思いを言葉にした。
「僕はその想いに気付いてあげたい。願いがあるなら叶えてあげたいよ」
「…………おまえらしいな」
笑みをこぼした恭介が僕へ向き直った。
「ミッションの変更はなしだ」
「『怪奇現象の謎を解け』――この世界のな」
「あの少女の想いを叶えてやるぞ」
「うん」
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