#シチュ:いつものように部室でのんびりしていると……。
今は6月だ。
窓からは幾分傾いた初夏の日差しが降り注ぎ、ごちゃごちゃと小物で溢れかえった部室を照らし出している。
ついでに言うと、仏頂面でパソコンを睨みつけているハルヒと、まるで全自動スキャナを連想させるほど一定リズムで本のページをめくる長門、そして俺の前でトントン相撲の相手をせがんできている古泉という見飽きた光景が我が眼前には広がっている。
「お茶のお代わりをどうぞ」
「ありがとうございます、朝比奈さん」
朝比奈さんの差し出すお茶をありがたく頂戴し、これまたありがたくすする。
はぁ…俺はこの瞬間のためだけにここにいる気がするね。
放課後のゆっくりとした時間が流れている。
お茶を入れてくれたお方が未来人で、せっせとトントン相撲の力士を切り抜いているのが超能力者で、本の虫と化しているのが宇宙人だなんて忘れちまいそうだ。
こんな日常も悪くない。
そんなことがチラリとでも頭を過ぎったのが全ての元凶だったのかもしれない。
それは、突然やってきた。
――ぱた。
珍しくハードカバーではなく普通の小説を読んでいた長門が、本を閉じて俺に意味深な瞳を向けた。
「どうしたんだ、長門?」
俺が尋ねると、長門は首を3度ほど傾けて口を開いた。
「……あなたに訊きたいことがある」
「へぇ、有希が訊きたいことがあるなんて珍しいわね」
訊かれたのは俺だぞ、とハルヒに言ったところで無駄だろうからツッコむのはやめておく。
が、ハルヒが口を挟みたくなるのもわかる。
確かに長門がこんなことを言うなんて珍しい。
こいつなら宇宙誕生の秘密すら知ってそうしな。
そんな長門が、俺のようなごくごく一般的な普通の高校生に何の質問があるというのだろうか。
「まあ、俺に答えられることなら答えるぞ」
「……そう」
なぜか俺を凝視したまま止まる長門。もしかして訊こうか迷ってるのか?
「言ってくれないと、答えられるかどうかもわからんぞ」
「……そう」
長門が手にしていた本をサイドに置いた。
そして口を開いた。
「……キスがどんな味かを知りたい」
「「ぶふーーーっ!?!?」」
思わず俺もハルヒも口にしていたお茶を噴出したね。
その後の俺とハルヒの様子は…二人とも目が点という比喩表現がまんま当てはまるだろう。
「ふえぇ~~~……」
朝比奈さんなんて可愛らしいお顔を真っ赤にして、自分の口を手で押さえていらっしゃる。
「おや、これはまた直接的な質問ですね」
興味津々という態度がありありと見える古泉。お前はいらん。一人トントン相撲でもしてろ。
「な、長門…そんなことに興味があるのか?」
「……興味がある」
い、意外だ!
いや…長門の『興味がある』は俺たちの思うような意味じゃないのかもしれんが。
そんな俺たちの態度を余所に、長門は淡々と語り始めた。
「……この本の最後にキスシーンが出てくる。キスがどんな意味を持つのかは理解できた。……だが、描写が曖昧でキスがどんな味かまではわからなかった。だから教えて欲しい」
なんでも吸収しちまいそうな深い瞳が俺を捉えている。
「へ、へぇ…有希も案外、お、おませさんね…」
ハルヒはハルヒでなんで顔が赤いんだ。
「お、教えて欲しいと言われてもな…」
俺はキスなんて…………。
………………ぐっ!?
……頼む、いつかのアレはノーカンにしておいてくれ。
「悪い長門。俺にはそれは答えかねる」
苦し紛れにそう答えた。
「……そう」
長門の目はハルヒに向けられていた。
「え!? あ、あたし!? あっ、あっ、あたしだってそんなもん、しっ、知らないわよっ!!」
おい、ハルヒ。むちゃくちゃツバ飛んでるぞ。
続けて長門の目線が朝比奈さんへと移された。
「ふぇ~~、わ、私もそんなロマンチックなことはぁ~~~」
真っ赤になって首をブンブンブンと振っている姿がなんとも可愛らしい。
「おっと、僕もまだ未経験ですからね。念のため」
おい古泉。なんでお前は俺を見ながら喋ってるんだ。気色悪いぞ。
「どうやらウチの団員にそんなハレンチな行為をする輩(やから)はいないようね」
ハルヒが満足気に団長用のイスの背もたれに体重を預ける。
「有希、いい? そういうことは人に訊くものじゃないわ」
「……?」
「知りたかったら自分ですること。わかった?」
ハルヒの奴、どこか優越感に浸ったような話し方だ。
「……わかった」
それだけ言うと長門がスックと立ち上がった。
――スタスタスタ、ぴた。
なぜか俺の近くまで歩いてきて立ち止まる長門。
「どうしたんだ?」
「……立って欲しい」
「?」
疑問に思いながらも、長門に言われた通り立ち上がった。
俺が立ち上がると長門がテクテクと歩み寄ってきた。
そんなに近寄ると……って。
「ちょっと待て、長門!」
慌てて俺に向かってくる長門の肩を押さえた!
「お前、まさかとは思うが……」
「……涼宮ハルヒの許可が下りた」
長門の深い瞳が俺の目をしっかりと見据えている。
「……キスの味を確かめさせて欲しい」
――――…………………………。
長門の一言で部室の空気が絶対零度に固まった!
…………。
……。
横にいる古泉は引きつったままの笑顔のまま硬直している!
朝比奈さんは赤くなった頬を押さえたまま硬直している!
ハルヒは……オイっ!?
あんぐりと開けた口から茶が零れてるぞっ!?
………………。
…………。
俺が固まっていると、長門が少しずつ顔を近づけてきた!
しかも、キスのマナーに沿わず、俺を凝視したまま!
マズイ!
そう思った瞬間だった。
「だめーーーーっ!!」
静寂を打ち破ったのはハルヒの一声だった。
座っていた椅子を吹っ飛ばし立ち上がり、力いっぱいの声で叫んでいた。
「「「……………………」」」
全員の視線が、目をギュッとつぶり顔を赤くしているハルヒに向けられている。
「……」
「…………あ」
自分が叫んだことに気付いたのか、髪が逆立ちそうなほど恥かしさの色に染まっていく。
「あ、あああああ、い、い、い、今のは…」
ハルヒの泳ぎまくる目が俺の目と勝ち合った。
「……そ、そう!! キョンっ!! アンタ、有希の肩からさっさと手を放しなさいっ!! な、なにこの神聖なるSOS団の部室で、有希を襲おうとしてるのよっ!!!」
「俺か!?」
「そうよ!! この様子を見たら10人が10人あんたのことを警察に通報するわ」
真っ赤になったハルヒが一生懸命俺たちを離そうと喋り捲っている。
ここで言い返すほど俺も野暮じゃない。
「すまなかったな、長門」
「……」
頭をひと撫でしてから、離すように肩から手を外す。
「ちょっと、なに頭撫でてるのよっ!!! そんな風に有希に触れるのは今後一切禁止だから! もしも次こんなことをしようとしたら3回死んで詫びてもらうわ!!」
そこまで一呼吸で言い切ると。
「帰る!! あんたらもさっさと別々に帰りなさいね!」
最初慌てふためいていたハルヒは最終的に肩を怒らせ、ドアをぶっ壊すほどの勢いで出て行った。
しばらく全員が固まっていたが、どこからともなく深い深い溜息が漏れ、部室の空気がいつもの様子を取り戻していった。
「こら、長門」
「……なに?」
「もう変なことしようとするなよ」
「………………………………残念」
「ん? なんか言ったか」
「……言っていない」
「そっか」