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さらに次の日。
まずは昨日も長門からメールがあったことを伝えておこう。
内容はこうだ。
『いまなにしてる?』
『テレビ鑑賞中だ』
『そう。私はメールを打っている』
『だろうな』
以上だ。
昨日より飛躍的に進歩している…気がしなくもなくもない。否定語の重複表現だ。
重い足を押して教室に入って真っ先に目に飛び込んだのが、ハルヒだ。
昨日同様プンスカした様子で窓から外を見ているが、いつもと違う部分がある。
どこかって?
ポニーテールだってことだよ。
こりゃツッコめばいいのか、どうなんだ?
何も言わずに席に着いたんだが、授業が回数を進めるごとに後ろからの無言のプレッシャーが強くなってきた。
昼休み。
二日連続でハルヒが教室で弁当を広げている。何がしたいんだコイツは。
しかも弁当箱は重箱3段ときている。どんだけハラペコなんだよ。
俺が立とうとすると、ハルヒがガンを飛ばしてきたので一緒に昼を食うことにした。
「…………」
「お前、こんなに食うのか?」
「…………」
仏頂面で弁当を口に詰め込むハルヒ。広げた重箱の1つには手をつけていない。
このままだとまず間違いなく食い切れないだろう。残したら農家の人にも親御さんにも怒られちまうぞ。
「少しもらっていいか?」
見た目も相まって、俺はそんなことを口にしていた。
「……」
「仕方ないわね。そんなに食べたきゃ食べれば?」
手付かずの重箱を俺の方に追いやるハルヒ。いいなら遠慮なくもらうとするか。
「お。美味いぞ」
箸が勝手に動き、どんどん俺の口に野菜炒めやら唐揚げが吸い込まれていく。どのおかずもかなり美味い。
「お前の親御さん、料理上手だな」
「…………ふん」
なんでお前が微妙に照れてんだ。
あっと言う間に重箱の中身はなくなり、俺はひと時の幸福感に浸る。
それで俺の気が緩んだんだろうな。
「……やっぱり似合ってるぞ」
「……」
「あっそ」
午後は午後で…後ろの奴はいったい何なんだ?
午前中はあんなにイライラオーラを撒き散らしてたというのに、今は180度ターンでやたらとご機嫌だ。
本当に秋の空のような奴だな。
今のこいつなら笑顔のままフルマラソンを完走しちまうだろうよ。
やってきました、放課後。
言っておくが楽しみにしているワケじゃあない。俺はマゾじゃないからな。
俗に言うヤケクソっていうヤツだ。
どうしても部室に足が向くようになってるんだろう。呪いの呪文でもかけられているのかもしれん。
大きく息を吸い込み、ドアノブに手を掛ける。
ゆっくりとドアを開けたそこには、
「何よ?」
ハルヒだけがいた。
今やトラブルメーカーと化した元文学少女はご在室ではないようだ。
「で、お前は何でそんなとこに座ってんだ?」
「別にいいでしょ? 気分転換よ」
いつもはスマイルくらいしか売りがない優男が俺の向かいを陣取っているが、今日はポニーテールが腰を下ろしている。
俺もいつもの場所にいつもの様に腰を下ろす。
「ねえキョン。そうね…ポーカーでもしない?」
ええい、目の前でポニーテールをいじるのを止めろ。
萌えちまうだろうが。
「じゃーんっ!! フルハウスよ! キョンは?」
「ブタだ」
「またまたまたまたあたしの勝ちーっ!! よっわいわねぇ!」
最初はどこか作ったようなテンションだったが、ポーカーを勝ち進むにつれてハルヒのテンションはいつものハイテンションに戻っていった。
俺の涙ぐましい努力のお陰だからな。
2回に1回は揃っているペアを捨てている。
俺のブタで世界が平和になるんだったら安いもんだ。世界よ…チープになっちまったもんだなあ。
コンコン…。
消え入りそうなほど小さなノックと共に「あ、あのぅ…」とすっかり怯えきっている朝比奈さんがドアから顔を覗かせる。
「みくるちゃん、早くお茶! 一番たっかい奴お願い!」
「あ……は、はい! 今すぐにっ」
いつのもテンションのハルヒに触れた朝比奈さんが急速に笑顔を取り戻し、
「キョン君も一番高いお茶でいいですよね」
と鼻歌を歌いながらお茶を作っている。
いじらしいです。可愛いです。
「いぇーいっ! スリーカード~! キョンは?」
「ワンペアだ」
「やったぁーっ! またまたまたまたまたあたしの勝ちーっ!! ホント弱っちいわねぇ!」
「ほっとけ」
「――おやおや、賑やかですね」
昨日、電話と共に退散した古泉の登場だ。
「って、お前どうしたんだよ?」
ドアの前に突っ立ってる古泉を見ると、片腕は包帯でぐるぐる巻きで首から吊るされていて、頭にも包帯、頬には大きな絆創膏という様相だ。
「ははは…昨日バイト中に階段を3階から1階まで転げ落ちてしまいまして。困ったものです」
おい、もっとマシな言い訳をしろ。
階段を3階から1階まで転げ落ちるって、どんだけ器用な奴だよ。
「古泉くんも意外とドジねぇ」
「いやあ、全くおっしゃる通りです」
テンションが上がっているハルヒは気付かなかったようだ。
「やはり涼宮さんの笑顔を見ると癒されますね」
「そうでしょ? お医者様でも草津の湯でも治らなくても、あたしの笑顔があれば一発よ!」
おいハルヒ、言葉の使い方を間違ってるぞ。
まあ、古泉の奴はいつものテンションのハルヒのを見て、本当に胸を撫で下ろしているようだ。
「ゲームの邪魔をしては悪いですね。僕はこちらで神経衰弱に興じるとしましょう」
俺に訳の分からんウインクを投げ掛けると、隅の丸テーブルに腰を下ろし胸ポケットからトランプを取り出し並べ始めた。
少し老け込んだように見えるのは疲れ故だろうな。
お疲れ様だ古泉。
安心しろ、お前があっちで肉体的に頑張っている間、俺はこっちで世界を守らんと精神的に頑張っている。
後は…今日だけは長門がおかしなことを言い出さないことを祈るのみだ。
だが、そんな安息の時間はすぐに破られた。
ガチャリ……。
あまりに小さな音だったが、全員が敏感にそちらに振り返る。
いつもは置物なみの存在感だが、今や学校に乱入した象なみの存在感を誇る少女が入ってくる。長門だ。
「……」
「………………………………」
「な、なななな長門さんもお、おおおお茶飲みます? お、お、おいしいですよ~…」
「もらう」
「い、いいいい、今すぐにい、入れ、入れますね~」
「いやあ、ひとり神経衰弱も中々乙なものですね。ははっ」
無理矢理今までのテンションを保とうとする二人。
いじましいほどの努力が窺える。
ハルヒは……俺の努力空しく、さっきまでのテンションが嘘の様に下がり長門の動きをギンとした目線で追っている。
長門はというと。
「……」
すとん。
本も取らずに、あたかも「ここが私の指定席」と言わんばかりに俺の横に腰を下ろした!
お前は何を考えているんだ!
見ろ、正面のポニーテールの付いた爆発物からピキッと音が聞えたぞ、今!
「……」
「これ」
「な、なんだよ?」
空気を読むなんて言語の存在すら知らなそうな長門が、俺に購買の袋のような無印の袋を突き出してきた。
「う、受け取ればいいのか?」
その返事の変わりに、
「中を見て」と長門。
中を見るとそこには――クッキーが入っていた。恐らく寸分違わず真円であろうクッキーだ。
「手作り」
「「「「……」」」」
長門の手作りクッキーだと!?
食えばいいのか…?
正面からは、空気を吸っただけで心停止を起こしそうなほどのデス・オーラを放つ奴が俺を睨みつけている!!
今やこの長門手作りクッキーは地球を三度破壊しても足りないほどの威力を持っていると言っても過言ではない!
ここで食うのはあまりに無謀だ!
「食べて」
「………………」
長門の一言で部室の温度が一気に消え去った!!
待て待て待て待て!?
お前はここで俺に最後の晩餐を取れというのか!?
お前の目は節穴か!? 俺の目の前にいる凄みのある金剛力士像が見えているだろうが!?
「…………」
クッキーを見つめ冷や汗を流している俺のことを察してくれたのか、
「そう」
一言だけ言うと、長門は俺の手から袋を取り上げた。
もちろん全員が多少なりとも胸を撫で下ろしたのは言うまでもないだろう。
だが。
長門が俺を上目遣いで見つめながら言い放った。
「私が食べさせる」
その一言がどれだけの殺傷力があるか想像に難くないと思うが、説明をしようと思う。
まず古泉。
土気色の顔というものを初めて見せてもらった。すまん。俺にはお前を気にかけるほどの余裕はゼロだ。
いつだったか「たまに動かないと腕が鈍ってしまいそうです」と軽口を叩いた自分を恨め。
そして朝比奈さん。
泣きながら後ろの壁にへばり付いて顔をふるふると震わせている。俺の一挙手一投足に全未来がかかっているのを全身を使って表現しているようだ。
最後、ハルヒ。
もはや手にしていたトランプは見るも無残な形状だ。
もしこいつが某有名戦闘民族ならば、今ごろ髪の毛を逆立て、ウヮンウヮンウヮンという金色のオーラに纏われていることだろう。
「あーん」
長門がクッキーを摘まみ、俺の口に運ぼうとした時。
ピピピピッ…。
案の定、地獄の方がまだ幸せであろうと思える空間に古泉の携帯が無機質に鳴り響いた。
「「「「……………………」」」」
今やツッコミはゼロ。
おい、古泉。泣いていいぞ。俺も一緒に泣いてやる。
古泉が半ベソでもう二度と戻らないかもしれないバイトに出かけた後も、
「あーん」
俺の生き地獄は現在進行形で継続中だ。
「口、開けて」
無垢な表情でクッキーと言う名の核兵器のスイッチを突きつけてくる宇宙人!
真正面では地獄の閻魔も今のこいつの顔に比べたら愛くるしいと思える鬼が、俺を視線だけで焼き殺そうとしている!
今、もしあーんをしてしまったらどうなるかぐらい手に取るようにわかる。
世界が崩壊しなくとも俺の人生が崩壊することは確実!
そうコーラを飲んだらゲップが出るって言うくらい確実だッ!
俺は、長門が近づけてくるクッキーから顔を背けた。
「長門、悪いが――――」
「……」
「むに、むに」
オイッ!?
長門は顔を背けた俺の頬にムニムニとクッキーを押し付けてきている!
まさか遊んでいるつもりか!? アレか? ジャレ付いてきているのか!?
「…………………………………………」
た、頼むハルヒ、いつもの叫ぶなりキレるなり何なりアクションを起こしてくれ!
お前の無言が一番怖いんだよ!
「ふえぇぇぇ――……」
朝比奈さんに至っては、もはや腰を抜かしてシリモチを着いてしまっている!
いつもの俺なら萌えているところだろうが、そんな心の余裕は1ピコグラムも残っちゃいない!
「なっ、長門…い、いいか?」
なんとか声を絞り出す。
「なに?」
頬からクッキーを離すと、俺を見つめてくる長門。
「……」
「……」
長門は少し小首を傾げながら俺の言葉を待っている。
「……お、俺」
「……」
「…………」
「クッキー苦手なんだ」
「そう」
それだけ言うと、長門はクッキーの入った袋を置いて部室から出て行った。
「……………………」
「……………………」
「……………………――~~~~~~~~っ!!」
バグォンッ!! ガジャンッ!!
ハルヒは両手を長机に叩きつけると、そのままの勢いで立ち上がった。もちろん座っていた椅子は後ろに吹っ飛んだ。
ズカズカと音を立てながら俺の横に来て、
ドスンッ!!
長門が座っていたのと逆サイドの俺の横に座った。
「それ取って」
「それって何だよ?」
「それよ!!」
「だから何だよ?」
「有希のクッキーっ!!」
長門のクッキーの袋を渡すと、
「ったく、それでわかりなさいよ!! 何なの!? 何なのよっ!! 何だって言うのよっ!!!」
八つ当たりするかのように中のクッキーをバリバリと食い始めた。
食い終わると、ハルヒはクッキーの入っていた袋をグチャグチャに丸め、
――ベチッ!!
俺の顔に叩きつけやがった!
「あたし帰るっ!!」
またもや椅子をひっくり返しながら立ち上がるハルヒ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
何で止まってるんだと思った矢先、ネクタイをグイと引っぱられた!
「おわっ、何するんだよっ!?」
「あんたも一緒に帰るのっっ!!!」
「何でお前と一緒に帰らなきゃならないんだよ!?」
「いいからあんたもあたしと帰るのっっ!!」
そのままハルヒに引っぱられる形で家路に着くこととなってしまった。
まだ腰を抜かしている朝比奈さんを置いて。
帰り道は完全に無言だ。
こいつ…もしかして俺の胃に穴を開けようという魂胆じゃないだろうな?
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