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泣いていた。
ひたすらに泣いていた。
どうして自分は泣いているのだろう?
それすらわからなくなるくらい泣き続けている。
ただ、ただ、悲しくて。
広い部屋で一人。
自分は泣いていた。
いつまでも、いつまでも。
いつまでも、いつまでも。
***
「夢の中のアレは本当のことだったのか」
「『コレ』を見る限りね……あたしにとっては悪夢が現在進行中よ……」
ため息の一つも吐きたくなるってものでしょ?
『コレ』どうするのよ。
現在早朝6時半。いつもならようやく起き出す時間だ。
あたしは朝の準備も早々に、昨夜の不思議体験の共有者――幼馴染の洋介を携帯一本で部屋に呼び出した。
もちろん理由は夢の話と、部屋を走り回る『コレ』をどうしようかという相談。
で、『コレ』というのが、
「ママー、これなぁに?」
「ママじゃないから……。それはリップ。あ!? 食べようとしちゃダメ!」
屈託のない笑顔を無料サービスでばら撒きながら、小学1年生ほどの女の子が部屋中を物珍しげに探訪している。
パタパタ歩き回ってると思いきや、絨毯にあぐらをかいて座っているあたしに乗っかってきたりと全く一箇所に落ち着いていない。
危なっかしいたらありゃしない。
「美月」
「なによ?」
「そこの座敷わらしが、あの獏なのか?」
「そう言ってるじゃない」
ちゃぶ台を挟んであたしの向かいに座った洋介が、夏服の胸元をはたきながら訝(いぶか)しげな目を座敷わらしに向けている。
「むーっ。わらわ、ばくだよーっ」
おかっぱ頭を揺らし、獏がふぐのようにぷくーっと膨れる。
「ほら、つの、あるし」
見て見てーと言わんばかりにあたしと洋介に頭を向けてくる。女の子特有のミルクの匂いだ。
確かにその頭には羊のような丸くて、一見おもちゃかと思うような角が生えていた。
「わかった、わかったから」
「むーっ」
たいそうご不満な様子。頬袋に木の実を詰めすぎたリスか。
けどその仕草が一々愛くるしいからまた困りものなのだ。
「……夢の中のアイツはもっと高圧的で性悪で凶悪な感じだと思ったが」
「大事じゃないもの全部、アッチに忘れてきたんじゃない?」
いやまあ、こっちのほうがありがたいけど。
「わらわねー、」
さっきまでパタパタしていた獏が話を聞いたのか、こちらに寄ってきてその小さな腰を下ろした。
あぐらをかいて座っているあたしの脚の上にだ。あたしの膝上はキミの指定席か。
「むこうでやられて、力なくなっちゃったのね。だからね」
自分のほっぺたに指を当てる獏。
「今はね、このカッコでこっちに出てくるのがせーいっぱいだったの。本当はわらわねー、ちゃ~んと大人なんだからねっ」
聞かれもしないのに言い訳までセット。
話をまとめるとこうだ。
獏は悪夢との戦いで力のほとんどを失った。
あたしから力を分けてもらって回復するために付いて来たのはいいけど、今の力だとせいぜい子どもの姿でしか現世に現れることができない。
どうやら精神のほうも身体の年齢と相応のものになっていそうだ。
「なるほど、つまり……」
山口勝平扮する名探偵よろしく洋介がメガネを上げた。
「体は子ども、頭脳は子ども、その名も――平凡な子どもでいいだろ」
「わらわ、おとなだもんっ」
膝の上でジタバタと上げる獏の大抗議の声も、まぁ子どもそのものよね。
「ちなみに言わせてもらうが、大人は自分のことを大人とは言わん」
「はっ!?」
うわ、獏の目が急に泳ぎだした!
キョドキョドと落ち着かない様子で、どうしようといった気持ちを全身で表しちゃっている。
「わ……わらわね、わらわね、お……おとなじゃないよ?」
「フン、トラップにかかったな!」
さながら逆転しちゃう裁判の主人公のように洋介がメガネを光らせながら獏を指差した!
「大人ではない――つまり自分は子どもだと認めたな、今、確かに!」
「みゅっ!? ちっ、ちがうもんーっ、わらわっ、わらわはっ」
「反論は?」
「あぅ……ま……ま……ママーっ」
「アンタは子ども相手に同レベルで何してんのっ! あぁほら、涙目になっちゃってるじゃないっ」
しがみついてきた獏を思わずギュッと抱き締めてしまっていた。
「おっとすまない、遊びが過ぎてしまったな」
言ってるセリフは格好良いけど、やってることはかなーり、もうそれはそれはかなーり大人気ない。
ただどうやら、
「このちっちゃい獏でも、わからないことは聞けそうじゃない?」
さっきの話を聞く限り、表現は子どもになっているが記憶の方は大丈夫そうだ。
「確かにな」
正直こっちは絶賛混乱中だ。聞きたいことは山ほどあるのだ。
「獏、聞きたいことが……うわ、あたしの服で涙拭くなっ! ああー……洋介、そこのティッシュ取って」
涙の溜まった獏の目頭にトントンとティッシュを当てる。
「ママっぽいぞ、美月」
「ママって言うな!」
うう、この歳で本当にママになってしまった気分……。
「獏、夢の中のこと――夢が現実になるって本当なの?」
「うん、ほんと」
トッポ(あたしの夜の楽しみだったのに)を食べ初めて落ち着き始めた獏に質問だ。
「いまね、こっちとね、夢がつながっちゃったの。まえもあったけどね、こんなにおっきいのは初めてかも。おやつおいしい」
あたしの脚の上で子どもらしく軽快にトッポをパクつきながらも、夜と同様のことを話し始めた。
いやまあ、目の前にいる別世界の住人――夢の住人の存在を認める限り、話は信じるしかなさそうだ。
つの生えてるし。
「今まで普通だったのよね? どうしてまたそんなことになったの?」
大きな瞳をパチクリする獏だったが、
「たぶんね、きっとね、わらわもよくわかんないけど『夢が現実になるあくむ』を見てる人がいるかも……? そうなら、みんなをまきこむくらいすっごい夢の力がつよい人かも」
なんて傍迷惑な夢を見ているヤツがいるんだ。今すぐここに来て謝って欲しい。
「夢の世界でやられていた二人……あいつらはもう戻らないのか?」
「ふみゅ? 昨日もわらわ言わなかったっけ?」
純真無垢で屈託のない瞳のまま無邪気に語る。
「あっちで死んじゃうと、こっちにもどってこれないの。こっちで死んじゃうと、あっちに行けないのといっしょだよ? ……どうしたの、ママ?」
「……」
「…………ね、洋介」
「なんだ」
「……警察に言った方がいいのかな?」
考え込むように顎に手を当てる洋介だったが、
「私の夢の中で二人が怪物に襲われていました、か?」
「うん」
「高校生が正に夢物語を語るんだぞ? 言うだけ無駄だろう」
「……けど」
「気持ちはわかる。だがな、美月。終わってしまったことをどうにかできる人間はいない」
「残るのは起こってしまったことをどうするかだ。警察や当事者たちから見れば、俺たちは証拠のない夢を語るだけの迷惑な『部外者』だ。情報もなければ確認の手段もない。現実で俺たちができることは……心苦しいが何もない」
「……そっか……」
洋介はたまに本当の正論を言うから困る。
「よくわかんないけど、ママ、わらわ喉かわいた」
コイツはコイツでっ。
空気を読むなんて気の利いた言葉は……知ってそうにもないか。
「はぁ。冷蔵庫にポカリ――青いの入ってるから」
「は~いっ」
「一番大切なことだが……昨日の悪夢は俺たちはもう見ることはない、でいいのか?」
パタパタと冷蔵庫に駆け寄り、開けて「わ~っ☆」とやっている獏がこっちも見ずに、
「うん、もうたおしちゃったから昨日のあくむはもう見ないよ。ふわ~、ちめたいっ」
「そっか……」
あたしたちは――あたしたちだけは、悪夢としか呼びようがない現象からギリギリで助かったんだ。
夢の残り香があたしのところへ寄ってくる。
「ママ、ふた開けて?」
「だからママじゃないって。はい貸して」
「ありがと、ママっ」
「だから自然にあたしの脚の上に座るなっ」
解決……したのよね。
『終わった』にも関わらず『始まった』気がしてならないのはあたしだけだろうか……。
得体の知れない不安が過ぎる。
それは良しとして。
「獏って力が回復するまであたしと一緒にいないといけないんだよね?」
「うんっ」
「……その辺色々諦めるとして、あたしたちは学校に行くけどお留守番できる?」
***
寮から学校までの朝の短い通学路。朝の日差しが学校へ向かう生徒たちを映し出している。
結果から言おう。
獏は付いて来た。
さっきの大騒動といったら……思い出しただけでダイエットできそうだ。
獏は夢の中同様の唯我独尊っぷりを遺憾なく発揮し、床で駄々をこねるに飽き足らず、床を転げまわった挙句に、捕まえようとした洋介にドロップキック。
あたしの通学バックを持って縦横無尽に走り回った後は、あたしの胸にセミの幼虫のごとくしがみついて散々泣きまくった。もちろんあたしの制服は惨憺たる有様だ。替えがあって助かった。
最終的には、鬼が島に行ってもすんなり受け入れられそうな顔した寮母さんが「テメェ!! うるせぇどころのレベルじゃねぇだろ! すり潰すぞコラ!」と部屋に怒鳴り込んで来た。
急いで獏を隠したはいいけど、もちろん洋介は勘違いされた挙句に背負い投げ10セット+投げっぱなしキリモミ回転落下という荒業を食らっていた。
尻を突き出し倒れている洋介に「ガッカリ王子、おはよー。今日もガッカリだね」と声を掛けながら去っていく寮生もちらほらだ。
「災難だったな」
「アレを食らってピンピンしてる洋介が信じられないけど」
「何度も食らってるからな。ようは慣れだ」
アレはそういう問題じゃないと思うなあ。
青空の下、セミの大合唱を聞きながら歩道を二人で歩く。
『わらわ、おもしろくないっ』
「付いて来たいならガマン」
姿は見えないけど、獏がぷくーっとふぐみたいに膨れているのが手に取るようにわかる。
「お前が美月の中に隠れられることをもっと早くに言えばあんなことにはならなかったのではないか?」
『むーっ、これだと動けないし、おもしろくないっ』
――寮母さんにでも『いとこです』とでも言って任せて置いていこうとしたときだった。
獏が、
『ふぇっ!? えと、えっと! ちゃんとね、ちゃんとねっ、見えないようにできるのっ!』
言うや否や、獏が光の粒子となりあたしに吸い込まれた。
『これならね、付いていって……いい?』
よっぽど置いていかれるのが嫌だったのか、それとも寮母さんが怖かったのか素直になっていた。
どうやら夢の中同様、獏はあたしの中を間借りすることはできるようだ。
ただ、現世ではあたしを操るといったことはできないらしい。そこは本当に助かった。こっちでも勝手に動かされたらたまったものじゃない。
あたしとくっついている間は全く自分が好きなように動けないので、好奇心旺盛なお子様としては面白くないらしい。
そういう経緯があり、已(や)む無く連れて来ているわけだ。
***
学校手前のちょっとした坂を遅めのペースで上ると、見慣れた校舎が見えてきた。
「あれ」
「どうした?」
「あ、うん。夢が現実になるって言ってたからさ」
昨日の夜、夢の中で散々破壊された校舎。
けど、今見える学校の佇まいは綺麗なものだ。夢の欠片もない。
「ねえ獏、夢が現実になるって言ってたけど学校は全然平気に見えるんだけど?」
そもそも夢の中のあの状態だと、授業は戦後の炎天下耐久怒涛の青空教室になってしまうだろう。
『夢はね、人がみるもの。モノは夢をみないでしょ。だからね、モノは大丈夫なの。人に起こったことはこっちとつながってるの』
夢は人が見るもの。物は夢を見ない。で、人の夢が現実になる、か。
ようは夢の影響は人にしかでないのね。
たしかにあの状態が続いていたとしたら、一昨日あたりからあたしたちは青空教室だったであろう。
「……フ」
ようすけが鼻で笑いながら余裕の顔で髪をかき上げた。
「よくわからん」
「洋介はそんなに深く考えなくていいからね」
ため息もそこそこに、自転車の生徒や友達とおしゃべりをしている生徒が増えた校門をくぐった時だ。
「あっら~、美月じゃない」
「ゲ」
今日って厄日?
誰だっているでしょ、朝から会いたくないヤツナンバー1。
ソレが校門近くにいた。
身長は160ちょっと、色白の肌にふわふわのブロンドヘアが映える。
ただの学校指定の夏服を着て腕組をして立ってるだけだというのに、モデルのように引き立っている。
短めのスカートからは、スラリとした白い脚。クラスの男子連中は陶器のようだとか例えていたっけ。
極めつけはそいつの目。
性格をそのまんま現しているキっツイ目は双方ともに碧眼を湛えている。
そう。目の前に立っているヤツ――山田アリア――はハーフである。
もはや立っているだけで周りの登校中の生徒がチラ見してくるレベルだ。
もちろんこんな見た目だ。男子人気は異様なほどに高い。
しかも親が世界各国で人気の検索サイトのCEO、つまり社長令嬢という豪華スペックまでお持ちという至れり尽くせりっぷりだ。
簡単に言うと、我々とは住む次元ごと違うのだ。
その反面、性格は高飛車、高慢。まさにお姫様といったところ。お高くとまっているって言えばわかりやすいか。
で。どういうわけか、あたしはコイツと中学・高校が一緒で、今現在もクラスが一緒なわけで。
なぜかいつもあたしに突っかかってくるわけで。
『すっごい綺麗な人っ! ねーねー、ママのお知り合い?』
「まぁね……」
心の中で話しかけてくる獏に返事をし、ため息をもらした。
「ふぅ~ん」
アリアはニマニマとあたしと洋介を値踏みするように見比べて、
「今日はお二人で登校? へ~、アツアツね」
しかもアツアツってなんだ。
「そういうのじゃない。知ってんでしょ」
「右に同じく」
フンと鼻を鳴らす洋介が続く。
ちなみにあたしは洋介の左だけどね。
構わずにあたしたちは「授業中大丈夫かな?」「獏がいくら話しかけても周りには聞こえんだろ」と会話しながら下足箱へと向かうが、あたしの横をニヤニヤとしたアリアが付いてくる。
なんなのよ、全く。
「そんなこと置いておいて、これこれ!」
「もう、なに?」
「これ見てよ。新しいの買っちゃったの。こーれ」
ブルーの瞳をキラッキラと輝かせているアリアが手に持つモノに目を向けると、そこには一般共学学校にはふさわしくない丸やら星型やらのマークとLとVが重なったような模様が描かれたバッグ。
「ふふん、ヴィトンの新作よ! なんと昨日でたばっかりなの! 知ってた? ほらほら。手にとって見てみたくない? 特別にいいわよ。特別にだけど」
アリアがヴィトンのバッグを
「もっとよく見ていいけど」
とあたしのほうに突きつけてくる。
はいはい、要は新しく買ったバッグを自慢したいのね。
もういっその事、苗字を骨川とかに変えて欲しい。
「俺はジャスコで同じ様なのを見たぞ」
「ハ? 全然違うわよっ! 2桁は違うわよ、バカ!」
学校指定のスポーツバッグで十分のあたしから見れば、全くその良さがわからない。
捲くし立てるアリアと、興味なく歩くあたしたちの3人で昇降口をくぐった。
洋介がいち早く「頑張れよ。また後でな」と軽く手を挙げ、自分の教室の下駄箱へ向かって離脱した。
うらやましい。あたしはまだ一災難の渦中なのに。まったくもう。
「ブランドとかって興味ないのよね」
「うそうそ。本当は欲しいでしょ? ヴィトンの新作なのよ、これ」
気持ちをこれっぽっちも汲むことなく突っかかってくる。
「全然」
「ハァ!? 信じらんない! もっとよく見なさいよ! 欲しくならない? すごいでしょ、私」
「学校指定のバッグでいいじゃない。どうせ体操着でしょ、入ってるの」
下駄箱から内履きを取り出し、さっさと履き替えた。相手にするだけ体力の無駄ってものだ。
そこにいた同級生と「おはよー。あ、今日のポニテの位置ちょっとずれてるよ」「え、うそ!?」とやり取りをしてると、
「けどヴィトンよ、ヴィトン! ほらっ! これビックリするくらい高いんだからね! 私の体操着入りなんて、それこそ天文学的価値に跳ね上がるんだから!」
さらに噛み付いてきた。
どんだけあたしに見せたいんだ。
ちなみに周りの男子は「ヤベェ、マジでヤベェ!」とか「あれが伝説のひとつなぎの大秘宝…ゴクリ…ッ」とか「アリア様に踏まれたい」と息を呑んでいるが、全く関係ないことだ。
なんだか頭が痛くなってきた。
「先教室行くわ…」
「え!? ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 私の靴脱ぎづらいくて……あ、待ちなさいよっ! 待って――」
カカシのように片足で跳ねながら靴を脱ごうとしているアリアを置いて、とっとと教室に向かうことにした。
『わらわもあのカバンほし――』
「絶っ対ダメ」
根は悪いヤツじゃないことは知ってるんだけど、性格がちょっとねえ。
あたしがため息を吐きたくなる理由もわかるというものだろう。
*** 4話に続く ***
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